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念願の自問自答ファッション教室に行ってきた!

ついに!念願の!!自問自答ファッション教室に行ってきた〜!!!

実を申しますと、本当は2月に行く予定でした。
しかしながら直前で体調を崩してしまい、あきやさん、翌日お会いする予定だったガールズさんにもご迷惑をお掛けしてしまい、正直かなり凹んだ。
そんな人間にもあきやさんは優しく、振替日を提案してくださり無事参加できました!
お会いできなったガールズさんにもいつかお会いできることを願っております!!🙏
お二人とも、その節は大変申し訳ございませんでした!!

さて、教室の話です。
とっても濃ゆくて熱くて楽しい時間でした!!
なんかんだ終わった後もお話してしまったので、解散したの9時過ぎくらいだったかな?(数えたら8時間くらい経過してました。びっくり)

本にも記載されているファッション欲求5段階だと、現在私は③社会的欲求重視。周りから浮かない服、目立ちすぎない服を着たいと思っている。
これは現在の私が服を選ぶ基準にもよく現れていて、一番重視しているのはTPOだと今回気付いた。ちなみにその次は、同率二位で好き・似合う、三番目に機能を重視しているよう。
終わってから気付いたんだけども、「TPOさえ守っていれば文句言われる筋合いねぇな」と私思っているようです笑

次にしたのが自分のキーワード探し。
あきやさんに「『その服真似したい!』って言われたらどうですか?」と聞かれて思ったのは、「嬉しい!けど、ぜぇったいにやだ!!」だった。
単純に真似されると気まずいって言うのもある。
真似したいと言ってくれた服は私が私のために自問自答して買った服で、素敵だと思ってくれたのは嬉しいけど、あなたにもあなたに似合う服があるはずだから一回立ち止まって!って感じなんだよな…。もちろん強要はするつもりないけど。
とりあえず、真似されたらまず同じ場には着ていかないのだけは確実!

次に「謙虚って言われたらどうですか?」。
私の答えは「そういう風に振る舞ってんだから当たり前じゃん!」。
更に次の「一生懸命、努力家って言われたらどうですか?」に思わず「え、がんばりたくないです」と答えてしまった。
この時あきやさんが「がんばらなくてよし!って書いときましょう!」って言ってくれてとても嬉しかったです。

そう、私はがんばりたくない。

小学生の時、金子みすゞさんの有名な「私と小鳥と鈴と」を習った。ご存知「みんな違ってみんないい」という詩。
私はこの詩に、えらく感動&共感してしまった。
この時の私はめがねをしていたことでいじめられており、みんな違う人間なのは当たり前のことなのに、なんでそれがいじめられる理由になるのだろうか、なんで同じになる必要があるのだろうか、と疑問だった。
当時はこの疑問をうまく言語化できなくてもやもやしていたのだけど、この詩が、私の気持ちを代弁してくれたような気がしたと同時に、私の疑問は間違っていなかったのだと思わせてくれてとても嬉しかったのだ。

この詩を習ったんだから、もういじめてこないだろうと思ったのは我ながら甘い。奴らを舐めていたと言ってもいい。
そう、この詩を習ってもいじめられることは無くならなかった。同級生たちの心には全く響いていなかったのである。
おそらく同級生たちから見て、私はいわゆるはみだし者だったのだろう。
よそ(隣県)から来ただけで彼らからは警戒すべき対象で、おまけに自分達が大切に守っている輪をはみ出して、壊す可能性がある人間だと判断されたのかもしれない。
実際ここ(地元)が全てではないと、気付いていた私は充分異端だったと思う。
同級生たちからしたら、当時はあそこが全てだっただろうから。
おまけに私は個人主義の我が道をいくタイプで、他者を省みていなかったのでいじめられたのだろうなと今は思う。
あと単純に公然の秘密やルールみたいなものに鈍感だった。言われていないのに守れと言われても知らんが??って感じだけども、察する能力なるものがあまりないなと自分でも思う。
いじめてきた人間も地元も好きではないけれど、これがきっかけで周りを見ることやまあまあ察することができる人間にはなったので必要なことだったのだと今は思うようにしている。いじめてきたヤツを一生許す気はないけどな。

私はいじめられることをちゃんと大人に相談していた。
でも、その度に大人は「あなたが大人になりなさい」とか「気にしたり言い返したりしたら思う壺よ」とかいうのである。
同級生は上記のような感じで信じられなくなったので、大人の言うことは全肯定マンだったいい子ちゃんになった。だから、大人になれない自分が、言い返してしまう私が悪いのだとがんばれない自分を恥じた。
大人のいう通りできるように頑張った。頑張ってるのに、高校で同級生たちと離れるまでいじめは続いた。
自分としてはこれ以上ないほど頑張っていたつもりだった。言ってくる奴らはこういう奴だから仕方ないと思うようにしたり、言われても言い返さないように頑張った。でも、いじめは続く。
もう無理だと思って大人に相談しても「もっと頑張って」と言われる。
もう充分頑張っているのに。
そもそもなんで私が頑張らないといけないの。
私の気持ちには寄り添ってくれないの。
どうして、あなたはあなたのままでいいって言ってくれないの。

いくら頑張っても誰も自分の頑張りを認めてくれない。
それはこの世で生きる上では至極当たり前で、自分のことなんだからしなくてはいけないことかもしれないけど、誰も自分の頑張りを認めてくれない、慮ってもくれない。

教室前に自分でもちょっと掘ってたんだけども、上記のおかげで私人間不信のきらいがあるな、と。基本的に人のこと好きじゃないなって。
だからって最初からツンケンするつもりは全くない。自分がそういう扱いされてきたからこそ、人にはしたくないし、そういう目に遭ってほしくないなと思ってる。
ただ、人間って泣きたくなるくらい優しい人もいるけど、反対に醜悪な人もいるって知っちゃってるんですよ。
私には優しい人が誰かには酷いことをしているかもしれない。反対に私には酷いことをする人は、自分の子供を溺愛しているかもしれない。
人間ってそういう怖いことができちゃうって知ってて、そして私もその人間の一人という…無理じゃん。この世界しんどすぎない???

私にとって、「がんばる」はこんな世界に馴染むことで、自分を押し殺すことで。
充分頑張ってきたつもりだけど、誰もその頑張りを認めてくれないし、もう頑張るのやーめちゃお!!←イマココ

ということで、ふっきれた私は今、人どうでもいいと思ってます。
こう書くとめちゃくちゃ人聞き悪いけど、要は人は人、私は私だから、あなたはそう思うんだね!じゃ、さよーなら〜!すればいいと思ってる。

幼少期のことでだいぶ回り道をしましたが結局のところ、元々の私ってこれ。

「私は私、人は人! みんな違ってみんないいんだから、好きなことして自分のこと幸せにしようぜ!!」

という訳で、教室でできたコンセプトがこちら。

「セクシーで、こだわりがあって、さわやかな、自分を喜ばせる暮らす人」


セクシーって性的なことを連想するかもしれないんだけども、私にとってのセクシーって人としての魅力だと思ってる。
具体的には、自分の世界や独特の空気感を持っている人ってとても魅力的だなと思っていて、そういった内なる魅力が溢れちゃった結果がセクシーなのではないかな、と。
こだわりとさわやかは、そのまんま。
納得いかないことは絶対しないくらい頑固なので、元々こだわりは強い方ではある。でも、こだわれるところはもっとこだわっていきたい。自分の人生だもん。
さわやかな人にものすごく憧れます。多分自分が粘着質な方だから、さらっとしている人すごいなってなる。

で、暮らす人。
私やりたい事がなく、強いていったら心乱す事なく気ままに平穏に暮らす事なんですね。
お金を使うなら京都の郊外に平屋の一軒家を建てたい!
そしたら仕事辞めますと教室では言いましたが、おそらく2、3年したらパートの仕事をすると思う。
自分にとって仕事は重要ではないけど、決して嫌いという訳でもなくて、あの仕事に集中して無心になれるのが結構好き。

自分のことを幸せにできるのは結局自分だけだと思ってる
誰かを喜ばせることが自分の喜びになる人もいるし、自分を喜ばせることが自分の幸せになる人もいる。本当に人次第だと思う。
そういう意味では、自分だけ喜ばしておきたい。
なので、自分を喜ばせる暮らす人です。
主に料理をメインに自分を喜ばせるつもりですが、掃除とか片付けとかでも喜ばせるつもり。他にも自分を喜ばせる手段がないか、もうちょい考えるつもり。

そして、私の心の中のYAZAWAは、刀剣乱舞の大包平です笑

大包平が好きなのはもちろんなのですが、彼のまっすぐさに人として憧れます(彼は人ではないのですが)。
なんというか、圧倒的光属性なんですよね。
私の中の彼のイメージが、忖度なくいいこと、悪いことをはっきり口にし、自分が信じていることを貫こうと行動できるイメージで、どっちかというとファッションをというよりは、人として間違っていないか声をかけてしまいそうな気がします。

そんな訳でとても熱くて楽しい時間を過ごしました!
あきやさん、同期の皆さん、ありがとうございました!!
またお会いできることを楽しみにしています🤗