かつての冬の日(短編)

「おいで、ルチア。」

 毛並みのふさふさした愛くるしい犬が赤い髪の少女に飛びついた。 ワン、ワン、ワンと尻尾を振りながら、少女の差し出した手を嘗めている。

 「ルチア、私、テレビに出るんだ。」 

 赤い髪の少女は、髪と同じ色のワンピースを着こなし、白黒の横ストライプが入ったタイツに、黒いブーツを履きこなしている。整った精悍な顔立ちと赤い髪とは対照的に彼女が犬を見る目はとても優しかった。

 だが、その目には心なしか影が見える。 クゥンという犬の鳴き声は、まるで彼女の心を見透かしたように思える。 

「ボカロレボリューションだって。笑っちゃうよね。」  

 犬の頭を撫でる彼女のもう一方の手には、一つの封筒が握られている。 

 ある朝、いつものように家を出た彼女の元に封筒に入った一枚の手紙が届いた。そこに入っていたのはオーディションの合格通知。たしかに、興味本位で録音したテープを送ったことはあった。周りの友人に「歌が上手い」「カラオケが上手」と乗せられ、ダメ元で出してみようと思ったのがもう半年も前の話だ。でも、まさか合格してしまうなんて。

 その日から、彼女の生活は一変した。

 「お前ともなかなか会えなくなったもんね、ルチア。」 

 オーディションで合格してからは、学校以外の時間の多くを歌やダンスの練習に明け暮れていた。 だから、近所の家で飼われているこのトイ・プードルのルチアと顔を合わせるのもとても久しぶりだった。 

「今日の夜には、私にもテレビで歌って踊ってるんだよ。」 

 彼女がそう言った瞬間、ゴオッという音を立てて強い風が通りすぎた。  赤い髪が激しく横に靡く。咄嗟に、彼女はルチアから手を引いて顔を手で隠した。 そして、ガサッという音が響き、どこからか飛んできた新聞記事が彼女の足元に落ちてきた。

 「真紅の髪をもつ美少女『CUL(カル)』、デビュー決定。」 

 彼女は、その記事を一瞥すると、ルチアの頭をもう一度撫でた。

 「行ってくるね、ルチア。」 

 それは、二〇一一年一月、真紅の髪の一人の少女が鮮烈なデビューを飾る少し前の出来事である。 

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