見出し画像

VARREL奮闘記| Ep0「僕の紹介」

「こんにちは、VARRELファンの皆様。私はVARRELのVALORANT部門のマネージャーを務めております大久保と申します」

ん?あなた誰ですか…?

皆様がそう思うのも無理はないでしょう、VARRELに入ってからこれまで一切自分から発信をしてこなかったので。今後はこのnoteを使い、出来る限りVALORANT部門のことについてマネージャーである私から色々発信していければと思います。

綺麗事を発信するつもりはありません、VALORANT部門のリアルをラフに発信していこうと思うのでそこはご了承ください。(拙い文章や誤字脱字もお許しを)

私の経歴

本投稿の記念すべき一本目は「私の自己紹介」をします。

「ん?Zepherや他の選手たちは出てこないのか?」

はい、出てきません、厳密には今は出たがりません。(いずれ引っ張り出します。笑)

という冗談はさておき、まずはどんな人が2023年、VALORANT競技シーン界隈に大波乱(2大会連続オープンステージ敗退)を巻き起こしたVARRELのVALORANT部門を担当しているのかを皆さんに知っていただきたいと思います。

名前:大久保 天貴(オオクボ テンキ)
所属部署:選手マネジメント部門(VALORANT部門/Overwatch部門/鉄拳部門)

生年月日:1998年6月5日
出身地:愛知県名古屋市

趣味:サッカー観戦、野球観戦、eスポーツ観戦、フットサル
ゲーム歴:eFootball(ウイイレ)、FIFA、VALORANT、Overwatch
eスポーツ歴:下記参照ください

2015年
→ウイイレで初めてオンラインゲームに触れる
→ゲーム用のTwitterアカウントを開設

2016年
→ウイイレ内の11vs11でやるモードにどはまりしチームを作る
→上記の流れで200人規模が参加する大会を自分で作ってしまう(当時はこれがeスポーツだとは一切知らずにやっていました)

2017年
→11vs11で500-1,000人規模が参加する
リーグ戦を有志と一緒に作る

2019年
→eスポーツチーム(Novagis Gaming)を立ち上げる

2020年
→チームの法人化
→自分がマンツーマンで育てた選手が初めてウイイレの世界大会に進出する
→自分のチームでVALORANT部門を設立する
→VALORANT部門が公式大会「FIRST STRIKE JAPAN」であと一歩のところでCrazy Raccoonを破りかける(BO1/14-16/アセント)

2021年
→VALORANT CHALLENGERS JAPAN 2021にて3大会連続メインステージ進出(国内8-16位)
→Novagis Gamingを事業譲渡(
Storks Phalanx)しeスポーツ業界から暫く離れる

2022年
→株式会社DONUTS USG入社(最初はストリーマー部門の担当でした)
→ストリーマー部門にOverwatch Leagueの伝説的プレイヤーであるEFFECT選手が加入
→VALORANT部門設立に伴い、選手マネジメント部門担当に異動

2023年
→前任者の退社に伴い、Overwatch部門、鉄拳部門も担当することになる
→VALORANT CHALLENGERS JAPAN 2023にて2大会連続オープンステージ敗退という大波乱を巻き起こしわずか3カ月でシーズン終了
→日本チームとして史上初のOverwatch League 2023 Openに進出
→Overwatch部門全員がOverwatch日本代表に選出、日本代表史上初のOverwatch World Cup 本戦グループステージ進出を決める

こんな感じで今に至ります。

eスポーツとの出会い、eスポーツチーム設立

元々はごりごりの体育会系でしっかり大学在学期間いっぱいは運動部に所属していました。

そんな僕のごりごり話は興味ないと思うのでさっさとeスポーツの話題に移ってしまいますが僕のeスポーツとの出会いは紛れもなくウイニングイレブンです。

コナミ様が手掛ける国民的ゲームタイトルということで一度は触れたり聞いたことがある人も多くいると思います。

サッカー繋がりで僕もあのゲームにのめりこみました。

最初は「身の周りの奴ら全員倒す」みたいなまさしく高校生っぽいアホなこと言いながらやってましたが、それに対して徐々に周りにいる友達が僕が強すぎるゆえに対戦を避け始めたので「仕方なくオンラインで相手探すか」という形で初めてeスポーツに触れることとなります。

一度プロゲーマーになったことのある自分ではありますが初めて2-3年は本当に勝てませんでした。

最初の1年くらいはたぶんですがVALORANTでいう「シルバー・ゴールド帯
」くらいだったかと。

その後ランクマッチをひたすら回し続けることで「イモータル・レディアント帯」でそこそこ名の知れるプレイヤーになりました。

転機は2017年、プロフィールにも書いているような11vs11でプレーするモードがウイイレにあり、そのゲームで今までとは比にならないレベルでオンライン上で交友関係を広げていきました。

そのなかでもひと際大きかったのがSOFIA-BOYというプレイヤーとの出会いです。

彼は当時オンライン上でせこい技ばかりを使って勝っていた悪名高いプレイヤーでしたが「別にチートしなければ試合に勝てば良くね」理論の元、彼を11vs11で僕が作っていたチームに勧誘しました。

そしたらあれよあれよと11vs11で有名になり、交友関係を広げたのはもちろんのこと、1vs1(ウイイレの競技シーンモード)で彼は1年もたたないうちに2018年に行われた世界大会で優勝し、世界一になってしまいました…(笑)

当時eスポーツがまだ日本に根付いていなかった時期だったのもあり、日本人がeスポーツで世界一になったことは各メディアで大きく取り上げられました。

そんな彼は大学卒業と同時にウイイレ(eFootabll)からの引退を決意し、今はKONAMIの一社員としてパブリッシャー側で日々奮闘していると聞いています。

https://efootball.jp/2018/09/02/asiangames2018_12/
eスポーツが初めてアジア競技大会の種目に採用されたときの金メダル獲得時の記事です。SOFIA選手はKONAMI社員へ、当時17歳で彗星の如く現れ日本代表として金メダルを獲得したLeva選手は現在DetonatioN FocusMe所属でアジア最高峰のeFootaballプレイヤーとして君臨しています。

プレイヤーとして全盛期だった彼の突如の引退は共にウイイレコミュニティを盛り上げる活動をしてきた自分にとっては十分すぎるほどのインパクトを残しました。

「これからウイイレでプロゲーマーを目指す人が少なくなってしまうのでは?」「世界一をとっても稼げない夢のない業界」「eスポーツドリームなんてない」と

この1件をきっかけにただプレイヤーとして携わるのではなく、運営側としてこの問題に向き合いたいと思ったのがeスポーツチーム設立の真の理由です。

チームとして最高の成果
そしてVALORANTとの出会い

「eスポーツプレイヤーを誇れる職業、食っていける職業に」
そんな想いを胸に2019年夏に私が立ち上げたチーム、それが「Novagis Gaming」です。

しかし現実問題そんなカッコいい話ではありません。

当時は「想い」は持っていたけど、チームマネジメント、チームで稼ぐ、スポンサー営業、その他諸々。
何のノウハウも持っていないただの素人お遊びゲーミングでした。

ただそんな僕の想いに乗ってきてくれた選手が数名。

Novagis Gamingの立ち上げメンバーでもある「ウイイレ部門」のてす選手あぶたろう選手やま選手です。

彼らは当時、全員僕がオンラインコミュニティの中から連れてきた選手たちで当時は誰1人プロとして認められるような実力者ではなかったと思います。

当時大学生をやりながら僕の地元の名古屋でいろいろな企業にスポンサー営業をしましたが実績もない誰一人想いに乗ってきてくれませんでした。

しかし、そんな状況でも彼らにはシビアに「結果」を求め続けました。

そして、彼らは僕の期待に応えた。

・eスポーツ国体優勝
・ウイイレ世界大会進出
・eJリーグ優勝 etc…

わずか半年で国内外のほぼ全てのタイトルを総なめにしました。

彼らは国内・アジアトップクラスの選手として今もなお、eFootballやFIFAの競技シーンで活躍しています。

そんな僕らに名古屋のある企業から「出資するから一緒に会社を立ち上げよう」と大学生で何も知らない僕に優しい経営者のおっさんが声をかけてくれました。

当時なにもわからなかった僕は「活動の幅が広がるのであれば良いか」という考えでそのおっさんについていくことを決意しました。

そんな感じで僕はいつのまにか雇われ社長になってました。笑

そこからは怒涛の日々。

全く経営に関しての知識がない僕はその経営者のおっさんの元でひたすら学びました。

当時大学でそれとなく経営学を専攻していたのですがこの時期に初めて「経営学部で良かった」と思いました。

大学時代は自他共に認めるなかなかの落第生でしたが急にいろんな教授に経営に関して聞きまわったことで教授の中で「あいつおかしくなった」との噂が大学内で広がっていたそうです。

そんなこともありつつ経営者のおっさんの元で学んで2ヵ月ほどたったある日、ある疑問が経営者のおっさんの中に生じました。

「社員というか仲間とかっていないの?」

あ、そういやおらん、と。笑

経営者のおっさんに「一緒に想いを持ってやっていける仲間を探せば?」と言われたことをきっかけに僕は急遽仲間を探すことになりました。

そしてTwitterで「一緒にNovagis Gamingを運営したいメンバーを募集します!」となんも条件待遇等も書かずに投稿。

今思えばこんな投稿に反応する人なんているわけないのですが1人の若者がとんでもない熱意を僕にぶつけて応募してきました。

それが当時ぜろきるというプレイヤーネームで活動した19歳の少年でした。

現在は「れいじ」としてFENNELのコアメンバーとして僕と同じチームマネジメントに携わっています。(荒野行動部門MANTIS/第五人格部門/LOL:Wildrift部門の3部門を担当)

彼は元々フィリピンで生まれ育ち、小学校卒業くらいのタイミングで日本にやってきた帰国子女という経歴を持っていました。

彼なりに僕にめちゃくちゃ熱意を伝えてくれていたと思うのですが当時の僕は「英語話せるならもう何でもいいわ、合格」とたった30分で彼を採用しました。笑

それに対して手放しに喜んでくれたあの経営者のおっさんも今思うとどうかとは思いますが。笑

彼と出会ってから一緒に想いを共にする仲間が出来たことでNovagis Gamingは急速に成長します。

2020年に入り、前述した地元の経営者のおっさんの元で法人化。

ストリーマーの獲得

選手、そしてチームSNSの超絶強化

スポンサー企業様の増加

法人化して3ヵ月くらいは本当にいろんなことがありました。

そして2020年3月
ここでようやく僕の人生に「VALORANT」という言葉が出てきます。

書き始めたら懐かしくなってしまい、色々書きすぎてしまったため今日はここまで。

第1回はまさかの「FPS」という言葉が一切出ず終わってしまいました。笑

是非続きが気になる方はこの記事のDiscord投稿にスタンプ等で反応していただけると幸いです、僕のコラム欲がみなぎります。笑

初めて数本は自己紹介や過去の遍歴紹介等、このような投稿が続きますがこのような形でVARRELの選手・コーチ・スタッフのリアルを伝えていければと思いますので何卒よろしくお願いします。

ここまでお読みいただいた皆様、ありがとうございました!

次回予告
「VALORANTとの出会い、部門設立、“国内No.1ジェット”CR Zepherとの初めての対峙、VCT2021での激闘」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?