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そろそろ暴かれちゃっとくれ

Netflixドラマ『忍びの家』を観終えた翌日、映画館で『DUNE 砂の惑星 PART2』を観た。
共にとても良く作られた面白い作品だった。

で、帰ってきて、そーいえば両作品共に、宗教絡みのアレが描かれてたよね、と夫と話した。
描き方はそれぞれなんだけど、両方ともそのアレが、物語の重要なファクターになっていた。

自分の問題を何かに帰依して丸投げして、自分の頭で考えることを放棄し、信じて従ってさえいれば全て解決すると思い込んで安心してる人々は、それを違うと言う(まともな)人を攻撃して黙らせる。あるいは敵対するアレを全否定して一歩も譲らず戦ってしまう。またあるいはそーいう構造を隠れ蓑として利用されたりなんだり…。

私はカミサマと共に生きてる(ように見える)国や地域が好きだ。インドとか、タイやバリや台湾やらメキシコとか、土着の宗教を当たり前に大切にしてる美しい景色が好き。
でもカミサマはカタカナで書きたい。なぜなら全然信じてないから。
もしも居るならそれは人の心の中、脳みその中に居ると私は思う。そうではないと言う人を否定はしない。あなたには神様が居るんだね。けど私のカミサマは私自身なんだ。でおしまいにしたい。
(八百万=やおよろずの神様的な考えは好きだけどね)

話は逸れるけど、夫は所謂宗教二世で、子供時代を台無しにされた人です(今は母親のために籍だけ置いていて、活動は一切していない)。
どの団体かは伏せますけど、話を聞くとまぁ酷いです。
今もまだその団体に嬉々として参加している姑を見ていると、あれは教義がどうこうじゃなくて、サークル活動なんだなと思う。独りでいられない人はそれなりに救われてるのかなとは思う。
けど否応なしに、教義の矛盾を感じながら、行きたくもないあれこれに無理やり駆り出される子供たちの気持ちをどう思ってんのかなぁと不思議に思う。
それが盲信ってヤツなんだろうなぁ…。良かれと思ってるのだろう。怖い…。

そういうことが最近は明るみになって、当事者も少しずつ語れるようになってきていて、以前より映画やドラマなんかでもあからさまに使われるようになってきている気がする。昔からあったろうけれど、少し変わってきてる気がする。

辛くても苦しくても、自分で考えようねと思う。
一時的に委ねるのは仕方ないにしても、丸投げはやめようね、ヤツらの思う壺だからね、と思う。
ちょっと気を遣っちゃってうまく表現できないけど、いー加減すべて暴かれちゃっておくれねと思うのです。。。

今日はハッシュタグも付けねぇです(^^)

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