教育と教養の違い|リベラルアーツ

〜概要〜

先日、教育と教養の違いで色々考えた結果、ある人からローレンスコールバーグの「道徳性発達理論」を教えて頂いて(←これは後日)、そのメモと考えたことを追記していこうと思う。

教養:個人の人格や学習に結びついた知識や行いのこと。これに関連した学問や芸術、および精神修養などの教育、文化的諸活動を含める場合もある。教養は、伝統的に、西欧の高等教育で扱われてきているリベラル・アーツに相当するものとしてもとらえられる。この起源もギリシア時代の自由人のための学問に起源を発する。しかし、現代の日本では一般教養という語に代表されるように、大学の専門課程よりも前の課程で習得されるべき広範な一般的基礎知識を指すに終始することが多い。
教育:教え育てることであり、ある人間を望ましい状態にさせるために、心と体の両面に、意図的に働きかけることである。教育を受ける人の知識を増やしたり、技能を身につけさせたり、人間性を養ったりしつつ、その人が持つ能力を引き出そうとすることである。

つまり、教育は、人に教えて育てるという字のままであり、教養は学習から得た知識や行い、自分自身を養う(つちかう)ことにある。

疑問:一般教養とはなんぞや?

しかし、現代の日本では一般教養という語に代表されるように、大学の専門課程よりも前の課程で習得されるべき
広範な一般的基礎知識を指すに終始することが多い。

一般教養という語に代表されるように、大学の専門課程よりも前の課程で習得されるべき広範な一般的基礎知識を指すとあるが、「習得されるべき」という言葉がどうにも他人事にしか見えない。つまり、大学生は一般教養を持ってて当たり前だということになる。正直、教養と言う言葉を心底考え出したのが29才の私であるからして、一般教養なんて何ですか?状態です。その言葉を肯定的に考えれば、大学以前に習ったことが一般教養とするのであれば「義務課程の教育+高校教育で得た知識=一般教養」ということになる。

問題:リベラルアーツ知ってました?これ、教養ですよ。

教養は、伝統的に、西欧の高等教育で扱われてきているリベラル・アーツに相当するものとしてもとらえられる。

 はぁ。実はリベラルアーツは知らなくても、プラトンという人物は高校でちらっと出てくるんですが、「教養=リベラルアーツ=義務課程の教育+高校教育で得た知識=一般教養」になるので・・・

知ってました?知らない方は教養がないです。と切り捨てられるんですか?実は、このリベラルアーツは現代議論が議論をうんでいて、答えはありません。プラトンのみが知っている?ことらしいですので安心してください。

もう、何が何だかわかりませんね。要するに、日本では教養も教育もごっちゃ混ぜにしているということになるのではないですかね?

つい最近よくあることですが、意味が似てる様で似ていない言葉がたくさんある日本で、これだけの技術発展があると、言葉自身も区別していかなくてはならないわけで。(なんでもかんでもAI=人工知能と言っている人。テレビでもいますね。)

結論:教養と教育は英語では全く別の言葉

教育:educationやtrain(ing)
教養:cultureやrefinementやliberal arts

になるんですね。しかし、結論的に何が言いたいかと言うと、一つは、英語ではしっかり区別されていて、教養でもたくさんの区別がされていること。2つめは教育は受動的教養は能動的(自発的の対義語がないので)であるということが重要なのかもしれません。educationはeducateという動詞になりますが、教養は動詞になりません。日本語でも同じですね。つまり、「勉強しなさい」は日本の体形的に困難だということ。なぜなら、教育しか受けていないのですから。勉強を自発的にするためには、私は知りたい!という欲に素直になることだと思っています。

ですので、次回はマズローの欲求5段階説に続けていきたいと思います。


参考文献

教養 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E9%A4%8A
教育 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2
リベラルアーツ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%84



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