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政権交代の点火装置は何か?:「選ぶ」、「決める」、「捨てる」の心理

 今日日曜日はこの春の復活徹夜祭から久し振りに百合丘カトリック教会のミサ聖祭に行きました。
 近頃は藤が丘カトリック教会に通うことが多く、どちらもほぼ同じ距離と運賃ですが百合丘は家との直通のバスの本数が少なくてミサの始まる時間に間に合うバスに乗るとその一時間前に着いてしまうのです。今日は偶さか五時に起きたので朝の用意を洗濯を含めゆっくりとして出たらミサの始まる九時半まで聖堂で一時間ほど眠っていました。
 藤が丘教会と百合丘教会はどちらもかつてはカナダのケベック外国宣教会という宣教団が管理指導権を有しておりケベック人の司祭が任じていましたが藤が丘のリュシアンボワソノ師は数年前に逝去、百合丘教会のジャンギデュポン師は十年ほど前に引退されて今は91歳でケベックに暮らしておられます。ケベック会は今や各界と同じく人手不足で日本に派遣される宣教師司祭が減り、藤が丘には横浜司教区の日本人司祭が、百合丘にはイタリアのミラノ外国宣教会のイタリア人司祭が任じています。藤が丘の鵜飼好一師は良き日本のおやじという感じ、百合丘のマリオビアンキン師は温かいイタリア爺という感じで、どちらも説教における聖書の講義をしっかりと分かり易く語ります。「ビアンキン、Bianchin」とは「ビアンキ、Bianchi」の聴き間違いではなくいずれもイタリアにある姓です。「ん」がついたら負けではありません。

 百合丘教会の聖堂はきれいであまり古い感じには見えませんが1969年の築で意外にも52年になります。木の国カナダに因み、外装は当時の日本の典型の鉄筋モルタル造ですが内装は総本木目。それがもうじき新築されるそうです。
 百合丘の町もまた、意外と古くて古く感じないきれいな建物が多い。小田急百合ヶ丘駅の開業は所得倍増計画の始まった1960年、現都市機構URによる百合丘団地の分譲が同年に始まり。百合丘の町並みは六十年代や七十年代からあまり変わっていません。
 百合ヶ丘駅前には路地裏の横丁がありますがそこも形式は古いけれどやはりきれい。その手のもののいかにも感はありません。なのでそんなにきれいでは味や情緒がないと思う人にはむしろ新しくてきれいな町よりも向きません。とにかく物持ちが良い。

 藤が丘教会の聖堂は1997年の築で24年、ほぼ新築同様。
 百合丘のと同じくケベック会の美術家宣教師司祭ジルカロン師による設計。
 藤が丘の町並みも主に八十年代や九十年代からのものが多い。
 東急藤が丘駅の開業は1966年で、藤が丘教会の設立は1971年。初めの一年は青葉台駅前の東急サービスセンター、現青葉台東急スクエアの間借りによる活動でしたが1972年に旧聖堂が出来、25年で建て替えられました。
 百合丘ほど古くて面白い町並ではありませんが、藤が丘駅前の藤が丘ショッピングセンターなどは往年の日本の豊かさを偲ばせる面白い佇まいです。

 冒頭の写真は小田急百合ヶ丘駅前の商店街・バス乗場。
 理容コロナという床屋が映っています。

 今はあまり聞かれないですが「床屋政治談義(床屋政談)」という言葉があります。
 キリスト教の司祭や牧師の説教も一頃は床屋政談のようなものがしばしば見受けられましたが今時のそれはそもそも「聖書のみ」という新教だけではなく聖書のみには拠らないカトリックにおいてもきちんと聖書の講義をする説教が増えて来ているようです。

 理容コロナの前のバス停を私が高校生の頃(整形外科)と近年(形成外科)の二度の手術を受けた聖マリアンナ医科大学行の小田急バスが(私は武蔵野バスと呼びます。小田急バスはかつては武蔵野乗合自動車という独立系のバスだったからです。)出ますが、病院にも床屋があります。
 調髪については、私はこの南多摩地方に地盤のあるイメージア、IMAGIAという美容室とIWASAKI, 岩崎という美容室を使い分けています。数年前までの極めて貧乏だった頃までは(今も客観的には極められかねない程に貧乏ですが、)時間帯で690円の百合丘のIWASAKIが頼みの綱でした。

 カナダは医療費が無料ですが、三割負担の国民健康保険への信頼の強い日本は医療費の無料ということはなかなか理解されにくいようです。
 尤も、県民共済や国民共済などの共済を利用しかつ相応の自助努力があれば医療費を実質無料にすることは可能です。
 また、百合丘や藤が丘が発展していた頃の田中角栄政権やそれらと地下鉄を通して反対側の千葉県や埼玉県が意識高い系な栄華を誇っていた頃の菅直人政権による所得に応じての最低医療費の制度もあります(菅直人総理が意識高い系だということではありません。)。私がその制度の存在を初めて知ったのは二年前に形成外科の手術を受けた聖マリアンナ医科大学病院に掲示される広告を見てのことです。病院に行かないと分からないし、行っても分からない病院さえあるでしょう。
 それは確かに歴史的状況に応じては最善と思われるものですがそういうものがあるから良いじゃないかというのはやはり何かが致命的に違います。

 その今日に、立憲民主党の枝野幸男代表が95歳になる村山富市総理の表敬訪問をして日本の政治をもっとリベラルにしたいとの所信を表明したそうです。
 デュポン神父91歳、村山総理95歳…。私は150歳、これまでの45年の三倍が最低目標です。

 医療費の無料を実現するためには相応の税の課負担が必要です。
 また、NHK受信料というちゃんちゃら訳の分からないもの、即ち強制される募金も放送税にすればもっと理解の可能なものになります。
 そのためには、その受益者となる可能性の高い低所得者が自ら税の負担をする、高所得者の税の課負担に恃まないことが必要ですし、それを可能にする所得の水準が必要です。
 負担をすればそれだけの恩典が返って来る、そういう国民と国家の信用の確立が必要です。高所得者は医療の恩典を受ける可能性もNHKの情報に拠る必要も少ない訳で、負担をする必要も薄い訳です(私は低所得者にしかなったことがありませんがNHKを試聴したことはこれまでの45年7か月の全ての放送の試聴時間の内の1%にも遠く及ばず、フジテレビ系が八割以上を占めています。尤も今はテレビを全く観ないし設置するつもりもないのでそれも0ですが、)。

 負担をすればそれだけの恩典が返って来る。
 勿論、負担と恩典は等価になるとは限らないもので、そうはならない場合が多いでしょう。
 ある種の思い込みを含め、負担が少ない程にその恩典は負担よりもっと少なく、負担が多い程にその恩典はもっと多いものです。
 経済には適正な価格というものがないことと同じく、政治にも適正な恩恵というものはないとはいえないけれどあるともいえないでしょう。
 価格と仕事が等価かどうか、負担と恩典が等価かどうかは偏に互いの信用に依るものです。

 実は今日のミサ聖祭において朗読された聖書の言葉には、そのような政治経済の本質も含まれます。聖書なので最も重視するのは信仰ですが、信仰は政教分離とはいえども政治経済と全く無関係でもないものです。旧約と新約のそれぞれの預言者の信用、延いては人間の信用ということにつき語られます。

 それを考えると結構暗澹とするものがあり、例えばケベック人の司祭がケベックに帰ったら何で安らげるか、イタリア人の司祭がイタリアに帰ったら何で安らげるかということは世俗的意味での生身の人間の信頼によれば不可能な訳で、それを実現するものはキリスト教の信仰が少なくとも形式としては或いはそれ以上に媒介するからです。彼らにとり故郷とはいわば故郷ではなく、同じ地と同じ名の新天地なのです。
 日本人が日本に帰ったら安らぐためにはそういうものはなく、そのために急拵えで仮構されたものがいわゆる日本教(日本らしさ)というものです。日本らしさについて説く日本教は専ら世俗主義なので、少なくとも形式的には共有されるキリスト教などの信仰とは異なります。

 尤も、とにかく新しい天地を転々とすることが良いということではありません。
 一所懸命とは言いませんが、人間はなるべく現在の居所を大切に守るべきです。それはケベック人もイタリア人も日本人も同じです。
 しかし現在の居所が折々に新たな生命や新たな使命により新天地となり続けることが望ましい。または必要に応じては新しい居所に移る。
 そのように「日々新たにされる。」または日々は難しいとしても「年々新たにされる。」ことはキリスト教にだけではなく、私の地元の真言宗豊山派星宿山王禅寺や琴平神社にもあります。
 風鈴は迷惑でも除夜の鐘は何で迷惑ではないかということの意味がそこにあります(いかにもな新宿などの小汚い路地裏の横丁への趣味と同じく、風鈴や石焼芋や灯油などのの移動販売車や不用品の無料回収車なども自分は粋だとか世のため人のためになっているだろうと思っていても周りにとっては迷惑でしかないので本当にやめて下さい。)。

 以上を踏まえ、次の記事には政権交代の可能性は如何にして生まれるかを語ります。

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