見出し画像

聖マリアンナ医科大学の不正入試疑惑:なぜ報道が少ないのに批判が熱いのか?

 聖マリアンナ医科大学(川崎市宮前区、以下:SMUSM)の入学試験における女子の受験者への差別の疑惑が先日に報じられました。

 医科大学や医学部における女子の入試の差別についてはこの数年に大きな問題となっています。

 いくつかの校の不正の発覚を受け、全国の校において第三者委員会が設けられるなどして不正の有無や実態についての調査が行われており、この年末年始の頃にSMUSMについても判明したとのことです。

 それにつき、報道はさほどに多くはないですが、ツイッターなどにおける批判が多く、話題ベースで見ると、一度は下火になっていた話題が再びめらめらっと炎上しだすような観があります。

 人間社会の倫理と人の生き方に関わる大きな問題であり、その問題を決して下火にしてはなりませんが、その報道とSNSとの顕著な温度差はなぜなのでしょうか?

 一つ単純にいえるのは、今般のSMUSMの不正の発覚は一連の芋蔓の一部であり、大きな問題の提起は既に数年前に報道においてなされているからということです。報道筋にとってはいわばこれはsome routine worksですが、報道を関心を持って見る観察者にとってはa special event。勿論、数年前には報道に興味のなかった人が今は興味を抱き始めていたら当時の報道については知らないのでその問題について知るのは今般のSMUSMの不正の発覚についての報が初めてということになります。そこで「そんなことがあるのか?!、酷い。」という感慨を抱けば、そこに「聖マリアンナ医科大学=不正」という印象が刷り込まれることは避けられません。それはどうにもし方のないことでしょう、そのような印象が生じることを避けることは不可能ですし。

 決して「みんなやっとうやないけ。」などというつもりはありません。

 丁度今、私はH-SMUSM、聖マリアンナ医科大学病院に掛かっている処で、頸部の二か所の粉瘤の切除の手術を昨年の9月に受けてこの3月の最終診断を待っている処です――身元の特定が可能なことを記しています。―――。

画像1

 その手術の時に、診断執刀医は若手の有望株と思しい医師ですが――因みに他の病院で羽生結弦似の若手医師に内科の診察を受けたことがあります。私は羽生結弦は反吐のn乗位に嫌いなのですが、その彼似の医師は明るい笑顔で素晴らしく魅力的と思いました。本物が贋物で贋物が本物な例。――、その手術に立ち会った先輩医師が桂文枝似で、術中の私の様子をじろじろと観察していました。

画像2

 勿論悪いことをしているのではないのですが、「文枝に見られる」というのは絵的に衝撃的です。「はあーー…、あかんわな。何でそんなん?」とか言われているかのような気がします。

 どんな医師に当たるかは坊主めくりのようなものという方もおられるかもしれません。

 医療というものは学説という時代の流行思想に支えられているものなので、そもそも不正の生じ易い分野だという諦念のような感覚は必要と思います。人が何の権理を以て人にレッテルを貼り、薬を投与し、刃物を当てられるのかということを問うと、どうしても同意に基づく契約という準民事的概念に行き着かざるを得ないのです。

 それを踏まえると、入学試験における女子の差別にはどう考えても同意がない訳で、強姦に匹敵する罪ともいえるかと思われます。「女を落とせ!落としまくれ!!」という動機に支えられている訳ですし。勿論、同意さえあれば許されるというものでもない。

 「わしは絶倫や!!」と三枝時代の文枝。

 何の話をしているのか分からなくなってきました汗。

 先述のごく単純な理由ともう一つ、報道がSMUSMの疑惑についての報道に及び腰な理由は妊娠中絶についての考慮があるだろうと思われます。

 聖マリアンナ医科大学及びその病院は人工妊娠中絶を行いません。そのことは先日に私の掛かった宮前区の本部の病院には目立つ表示がありませんが、かつて骨折の際に整形外科に掛かった中原区の東横病院には受付の所に目立つ表示があり、いわば門前払です。

 そのことが中原区の近辺と宮前区の近辺の妊娠中絶の志願件数と関係があるのかどうかは分かりません。

 SMUSMの女子の差別の疑惑が大きく報じられると、妊娠中絶の推奨派を勢いづける可能性があります。

 妊娠中絶の否定または消極的見解は女子の差別の反映であると考える向きが少なくないので、妊娠中絶を否定する医科大学が女子を入学試験で差別していたとなると格好の俎上になり得ます。「雌を差別する奴らにはメスを入れてやる!」と。

 私も妊娠中絶を違法化するべきだとは思いません。妊娠中絶は合法ですし、その可能性はどこかに開かれているべきでしょう。

 しかし合法なら何でもしてよい訳ではありません。

 また、妊娠中絶の否定が女子の差別という考え方が見受けられますが、揚げ足を取るようですが、妊娠中絶の肯定はその当事者たる男子の御都合を助長し得るものでもあり、それを否定したら女子の尊厳が守られて男子の御都合を戒める訳ではありません。男女のどちらかが勝ったり負けたりする事柄ではなく、双方に平等に関わる事柄です。妊娠中絶を推奨する女子にはその単純な構造が見えてはいないようです。尤も、そのような先方男子の御都合、責任逃れを許容してでも自分女子の立場を守るという発想、いわば焦土作戦もあるだろうと思われ、そう云っても分からないかもしれません。 

 報道筋は一概にいって妊娠中絶には懐疑的です。明確な肯定や明確な否定には少なくとも読売や朝日などの大手報道媒体は立っていません。それは大なり小なり従来の或いはこれからも大きくは変わらないであろう日本国法の妊娠中絶に関する考え方の反映でもありましょう。

 なのでどうしても妊娠中絶を明確に否定するSMUSMについては、仮に不正があってもなるべく控え目に報じたいという構えになります。それは報道媒体も固有の意思や利害関係を持つ企業なのでし方がありません。

 尤も、そのような忖度は下手にすると裏目に出て反対派をむしろ活気づけることになりかねません。

 事実を曲げたり無暗に擁護的論調をなすことは以ての外です。

 事実を報じ、無用の忖度や擁護をせず、一方ではその一件を機に予想され得る妊娠中絶の推奨の気運を批判または抑止する。法的権理と倫理は違うということを語り示す。

 報道筋だけではなく、日教組などの教育筋や政府もそのような法と倫理の違いということについての教育を積極的に考えと動きを起してほしいものです。そういうことを経済力以外には何の権威も力もないものである家族に任せると碌なことにはならないことは従来の事件史に明らかです。   

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?