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東京オリンピックを機に考える:楽観と悲観のつぼ その3:正しい悲観主義のつぼ

 人の世は様々の罪や無力が絶えないので、人間にとり悲観主義は既定の普通のものといえます。
 楽観主義が殊更に特殊で不自然な訳ではありませんが楽観をするためにはそれなりの知識や心得が必要になります。
 普通に良くない状況や状態の中、それを良くするためにはまた良くなるという希望を持つためには努力を要します。
 逆に、知識や心得を学ばなければ悲観主義も楽観主義も思い込みに過ぎません。
 ならば、学びと努力のある悲観主義とは何でしょうか?

 そのつぼを見て取れるのは意外にもアメリカのドナルドトランプ大統領です。
 トランプ大統領を見ると、学びや努力というようなものとは一見は対極にあるかのように見えます。その様を指してしばしばトランプ政権や同時代の安倍政権は反知性主義的と批判されていました。
 反知性主義の本来の意味はそのようなものとは違いますがそれはさておき、トランプ大統領は正しい悲観主義を示すことにより、正しいと言うと語弊があるなら上手い悲観主義によりその四年の任期とその時代を何とか大過なく切り抜けられました。
 トランプ節に毒されて起こされたかのような数々の凶相な出来事はトランプの時代ではなくてもしばしば同じ位かそれよりも多く起こっていることです。トランプ政権になったらアメリカの風潮がが険悪になった訳ではありません。
 似ているともいわれるトランプと安倍ですが、安倍は楽観主義でトランプは悲観主義です。
 安倍は日本を取り戻すと云いましたが、日本が壊れているとか更に壊れてゆくかもしれないというようなことを云ってはいませんでした。
 トランプはmake America great againと云いましたが、アメリカは壊れていて更に壊れてゆくかもしれないと悲観的に警告していました。

 アメリカを壊しているのはそう云っているお前だとトランプに対峙したのはヒラリークリントン氏です。
 初めはクリントンが優勢でしたが選挙の間近にトランプが支持を急に伸ばしてクリントンは負けました。
 そこに、トランプの手口の良さとクリントンの手口の悪さが見えます。

 クリントンはどちらかといえば楽観主義的ですがアメリカの時代の状況に引きずられてかトランプを意識し過ぎてか、その楽観主義に悲観主義的手口を混ぜていました。その悲観主義的手口はトランプが用いて勝ったものと内容や趣は違えど原理としては同じです。
 その悲観主義の手口とは「だいじょうぶだぁー。」です。
 よほどのことがなければ壊れたり潰れたりしない安定の基盤が確立している、それを語るのです。
 何でかというと、悲観は当然に皆が共有しているもので悲観的語りはその限りでは共感と支持を生みますが悲観ばかりではどうしようもなかったり安心できなかったりします。なので一先ずは安心してとりあえずは何とかなる、破滅は直ぐには来ないということを既成の安定しているものを示し語る必要がある訳です。

 トランプの示した既成の安定安心とはアメリカの発展の歴史とその心です。そこは阿呆なので具体的に何があってどうだということを語りはしませんでしたがむしろそれが雰囲気として好感を呼び、そしてそれを再びなそう、’Make America great again.’と唱和する。アントニオ猪木の「一二三ダー!」とも似ています。
 アメリカは共助の普及している国なので不動産屋だったトランプなどからすればとりあえず職に就いて家賃だけきちんと払っておれば暮らしは何とかなるということもそのような手口をより強く可能にしたのかもしれません。

 しかしクリントンの示した既成の安定安心とは少なくとも今のアメリカの人民の共感や支持を得て彼が指導者となるには非常に筋の悪いものでした。
 その内容よりはその既成の安定安心を未来への楽観と結びつける手口の悪さが問題です。
 それではとりあえず大丈夫なので安心せよということではなく何の問題もないのでずっと大丈夫だということになってしまいます。それはないよと思うでしょう。当時のアメリカはオバマ政権の後期から続く好況だったのでそれで行けるという判断だったのかもしれません。
 トランプの主張が酷過ぎるということでクリントンの票は僅差の大きさを保っていましたが共和党の候補がもっと穏健派だったらもっと大差で負けていたでしょう。
 トランプよりは色々と知識があるでしょうが、クリントンはアメリカの歴史にはあまり関心がなさそうな、歴史を感じさせないことも弱い点です。

 立場は逆なように見えますが、トランプと同じ手口で勝ち・クリントンと同じ手口で負けた選挙は大阪都構想の住民投票です。
 それもまたトランプ・クリントンのアメリカ大統領選挙と同じほどに僅差で、日本・大阪維新の会の支持する賛成派が自民党や共産党などの支持する反対派が勝ちました。自民党と共産党が同志として協力をするという史上に例のないことも特色でした。

 反対派は維新が勢力を増してゆく悲観的状況の中、いわゆる二重行政と批判されている大阪市・大阪府を既成の安定安心として訴え、片や、大阪都構想が実現すれば明るい未来が待っている、そのための強固な勢力を今や大阪中にまた日本の所々に築き上げているという賛成派に勝つ訳です。
 クリントンの示す既成勢力の安定安心とは歴史と規模が違うものの、印象としてはそれと同じかそれ以上の官軍振りを誇示。維新は伝統的に官軍嫌いの多い大阪人民の心をそのようにして逆撫でしたのです。

 既成勢力が強いか改革の力が強いかではなく、手口の正しさがものをいうのです。正しい手口は自ずと人々の心をつかむ。正義とは政策にあるのではなく生き方ややり方にある。

 それを考えると、今の日本の野党がなぜ政権交代をできないか、政権を取れないだけではなく存在そのものが信用されないかが見えて来るかと思われます。
 楽観にせよ悲観にせよ、思い込みが多い。思い込みに動かされておれば正しい手口を取れない。

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