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昭和・平成・令和の違いは何か?ーー儀礼作法(ceremony and manners)と法律規則(law and rules)から見る国際社会の中の日本。

 休業補償でお休みの今日の朝餉はこの写真の、えびのトマトクリームスパゲティでした。
トマトクリームというとホールトマト🍅や生クリームをたーぷり使うのかと想うかもしれませんが私のこれはオリーブ油、牛乳とバターを基にトマトケチャップなどの幾つかのたれを加えてのもの。
 会社の縮小操業の中賃金が少なくなってしまうのでホールトマトのような百円で買えるものにも生クリームのようないい値段のするものにも買い控えになってしまいます。なのであり合わせの材料でこれだけの一皿を作ってみた訳です。
 上手く作ればホールトマトはトマトケチャップより格段に美味しいでしょうがトマトケチャップなら失敗しにくいの出むしろお奨めかも。

 平成の日本はしばしば「失敗を恐れずにリスクを取れ。」とかいわれていた時代でしたが、どう考えても失敗しない方が良いに決まっています。
 失敗を取り戻すことや失敗を赦すことは大切ですが失敗を恐れるなというのはちょっと違うような気がします。どんなこともなるべく失敗のないし方でするべきでしょう。
 リスクは取らなければならない。ゼロリスクはない。ーー当然です。
 しかし平成の時代を通していわれていたそのような説教は、「だから何なの?」という感じがします。
 ゼロリスクはあり得ず、リスクを取らなければならないからこそ、リスクをより低くするリスクヘッジが必要です。
 当たり前過ぎるほど当たり前のことですが、平成人間にはそれが頭を何万回捻っても分からないらしい。

 平成ってまじ馬鹿?
 このお話は強引に要約するとそういうことです。
 しかしだからといって昭和に戻ろうとか明治の気骨がどうのとかいう話ではありません。

 本人のお気持ちからすれば決してそういうことではないのでしょうが、一人の下々の国民である私から見たその印象からすると、明仁上皇陛下が三年前に帝を退位したのは、已むに止まれない投げ出しでもあったのではないかと見えます。
 上皇陛下は御身の治めた平成の世を見捨てたのです。
 彼自らは、いやそんなことはない、彼は平成の世を往時も今も愛していると云うでしょう。
 私も今までの生涯の内平成の31年間が今のところは最も長く、私が平成の世に何の愛もない訳ではありません。
 しかし総じてみれば平成の時代は私が見捨てても仮に天皇が見捨てても已むを得ないといわざるを得ないチンケなものだった。
 時折しも、カトリック教会のローマ司教(因みに天皇をローマ司教に比肩する意味不な方々がいますが、それらは何の関係もありません。そえぞれ固有で異質のものです。)ベネディクト16世も数年前に退位。それも何となく已むに止まれない投げ出しという気がしなくもありません。チンケなのは日本だけではなく世界もまた大なり小なりそうだったのでしょう。
 ローマ司教はさておき、天皇陛下が代替わりをしたことはそう思う私にとっては無類の恵であり励みになるものです。明仁が投げ出しても徳仁が洩れなく付いてくる訳ですし。そして明仁上皇並に上皇后陛下は退かれてこれからも末永く健やかに過ごしてほしい。

 天皇を主とする日本の皇室にもローマ司教を主とするカトリックキリスト教会にも、その意義は違えど、偶々同じ位の二千余年に亘り伝承されて来た儀礼作法がその最も重要なものの一つとして存在します。
 このお話は、始まってまだ三年というべきか始まってもう三年というべきか、これからの私達が生きてゆく令和の時代に必要となると思われる儀礼作法についての話です。

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