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自民一強の政治と自浄能力について その2:必要なのは物語を生み出すこと。

 直前の記事『自民一強の政治と自浄能力について』に、自民党の支持率が高いのはロッキード事件とリクルート事件という二つの大きな政治腐敗からの自浄と再生が、必要に迫られて渋々ととはいえども、自民党は変われる政党だという感じる人が多いからだという見方を示しました。近年にしばしばいわれる同調圧力もないし野党に力がないからでもない。

 政策よりも性格(キャラ)で、国民が自分に関係する生涯の物語として受け入れ易い「筋書」のある党が支持され易いのです。

 民主党が支持を伸ばして政権交代を実現したのは、民主党がそれとなく示す「順風満帆に育ち、満を持して取り組む。」という、自民党のとは違うもう一つの「筋書」、生涯の物語に共感する人が当時は多くいたからです。民主党が野に下って数年後の、医療を題材としたテレビドラマの「私、失敗しないので。」は少々の誇張はあるにせよ、まさにそのような当時の民主党的物語を懐かしむような感じのものでした。

 そんなことはあり得ないという人もいるかもしれませんが、多数ではないにせよ、そのような生涯も確かにあるのです。失敗しない人生。

 しかしそのようなキャラが失敗すると減点や失望の対象にしかなりません。生涯を通してではなくごく一部の期間であれ、初めから優良な人はそのような見方をされ易いのです。

 なので、人間は失敗してなんぼだ、失敗しない人はいない、失敗してこそ大きくなれる、失敗を恐れるな、リスクを取って挑戦しろ…というような人生論は必ずしも無意味ではないにせよ、失敗しない人々が少なからずいる以上は、そして失敗が端的に損失である以上は、逆に非現実でおしつけがましくも下らない説教としか思えないものも少なくありません。自分と同じように失敗したことのある人が立ち直る心と成功の可能性を得ることを願うような論調なら大いに意味があるといえますが、失敗させることが目的と思しい論調のものが少なくありません。そして失敗した人がなかなか立ち直れないなら、それは自分の教える通りにしないからだと決めつけるのです。

 自分も失敗して来たので皆にも失敗してほしい、特にあの人だけは必ず失敗に陥れたい、そのように思う人が少なくないことも自民一強の政治が続く一因かと思われます。

 保守主義とは本来はそのような心性のものではないので、保守の党といわれる自民党がそのような心性を代表する極左も驚くようなものになっているのは支持の裾野が拡がり過ぎたからでもあるでしょう。そこには直前の記事が直接には無関係とする、自民党の経済や安全保障の政策についての見方も影響しているのでしょう。しかしどちらかといえば直前の記事が指摘する自民党の自浄能力への評価と期待による支持よりはそのような「赤くない極左」による支持は少数だろうと考えられます。

 「安倍政権は今は汚くてもいつか必ずきれいになってくれる。」、支持しない人々にはなかなかそうは思えないことですが、少しでも支持する人々は本気でそう思っています。因みに私は「支持出来たらする。」と考えておいたことがあるだけです。
 それは強ち不可能なことでもなく、場合によってはそうなるかもしれないことです。それが例えばオリンピックがあるので世界に恥ずかしいことはできないという「必要」に迫られてのことであるかもしれませんが。

 折しも清原和博や綾瀬はるか…じゃなくて何だっけ、…沢尻エリカか。彼らの薬物中毒という汚さからの回復と更生という物語は自民党にとって有利になり得る社会情勢です。

 自民党はそういう物語を糧としています。

 「善人尚もて往生す。況や悪人においてをや。」――その本来の意味は悪人が善人と同等やそれ以上の幸を得ても善人が不幸になる訳ではない、だから極楽浄土を信ずる自分達は悪人を救いたいと思うということかと思いますが、今は善人は往生しなくてもいい、いや、させない、悪人こそが往生する権理があるという風に解釈されている気があります。

 いずれにせよ、自民党は悪や不幸からの再生という物語を好むのです。だから「日本を取り戻す。」、確かにそれは望ましいことです。

 しかしその悪や不幸の元が民主党のような失敗しない人達にあるという見方はどう見ても滅茶苦茶です。自己責任を貫徹するならそんな見方にはならない筈です。

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 有権者が投票する党派を決める際に、最も大きな決め手となるのは政策より性格(キャラ)、性格より物語であろうと思われます。
 自分の生涯の一部或いは全部をその物語に託したいと思う党派に投票するのです。その「一部」が向う一週間ほどということもあるので、「生涯を託す」といってそんなに大層なものとは限りません。国民と為政者の物語の共有です。

 今の処はその物語を有権者に示しているのは自民党と共産党だけです。日本維新の会も幾らかは示していますがそれは大阪都構想が実現するまでの間の物語に過ぎず、仮にそれが実現したらどうするか、実現しなかったらどうするかという物語を示してはいません。

 その自民党と共産党も昔と比べればいかにも薄ぺらい辻立宣教の小冊子並の物語をしか示していないという見方もあるかと思いますが、それだけをでも示しているのは彼らだけで、他はほとんど何も示してはいません。政党とは理念と政策を提示してその賛否を問うものだという政治の一面だけに熱心で、他の重要な事柄に取り組んではほとんどいません。
 政治は宗教ではないので人々の生き方の総てを包含するものではありませんが、その重要な一部にコミットするものではあります。そのためにはその党を支持するとどんな生涯になるのかという物語を示すこと、それが共感されることが必要です。

 民主党にもそれを少しばかりは試みた総理がいました。それは意外にもあの人でもあの人でもなく、野田佳彦総理です。
 彼は「10%の消費税」という政策課題を通してこれからの日本国民の生涯の物語にもコミットしようとした、目のつけどころはシャープな指導者でした。あの人やあの人もかなり大きな現実的価値観を示しましたが、国民の生涯、生き方にまで響く程ではありませんでした。尤も、その位が普通ではあります。野田総理は良くも悪くも普通ではありませんでした。

 彼は「分厚い中間層の再生」ということを提起しました。
 そしてそれはかなり理解されて今の安倍政権の側にとっての懸案にもなり、野党の側にとっての重要な主張にもなっています。

 しかしそれでも物語としては弱いのです。

 何でかというと、そもそも中間層とは何かということを多くの国民がその経験者も、分かってはいないからです。その経験者とは昭和や平成の時代に中間層になった人々及びその世帯に子として生まれ育った人々です。
 偶々経済的に裕福だったということは中間層の生活と生涯という物語が形成される要因にはなりません。金は多くの場合は価値観の成果として付いて来るものですが、「分厚い中間層」という野田政権の示した物語はその価値観についてのことをすっ飛ばして金のことだけを問うものになっています。金さえあれば後は何とかなるというのは価値観の確かな人には当て嵌まることですが、そうではなければ逆に自分を脅かす搾取を助長するだけの空理空論になるものです。その意味では、あの人やあの人が野田総理より優れていたといえるでしょう。
 ただ、その二人が示した価値観は物語という程に広く国民を惹きつけるものに仕上がってはいなかったのです。もっと詰めればそうなる可能性は充分にあったでしょう。しかしそうはなっていないのは彼らが理系であることも一因なのかもしれません。物語を作ることはどうしても文系が優ります。
 その意味では、放送作家の出である立憲民主党の塩村文夏氏はこれからの時代に必要な政治家といえるかもしれません。彼は自民党の政治家による迫害を受けたことのある政治家ですが、奇しくも、自民党にはあってその他にはない特質のある政治家でもあるのです。むしろその面では似ているので、それこそが政治の肝であるということから、自民党の側の異常な警戒感による凄まじい攻撃になったのでしょうか?

 民主党の2009年の総選挙の公約を「薔薇色の公約」という人がしばしばいます。
 即ち、薔薇色の物語ということなのでしょうが、そう思うのは彼らが思い描く政治と生活の物語が薔薇色ではない、黒光りしていて格好良いと思うような物語であるからで、民主党の側は別に薔薇色の物語を描いたとは思っていません。しかしそれが民主党の勝因でもあり敗因でもあります。薔薇色というようなものではないということにおいては勝因ですが、政治が紡ぎ出して示す物語というものを重視しなかったことは敗因なのです。各々の政策には具体性がありましたが、それらを総合する良い意味での抽象性がないのです。
 当時はまだ小泉政権の示した聖域のない構造改革という抽象的課題の影響が強くあったので、それから数年を経てそれには飽き足らない人々がより具体的な民主党の政策を信用しました。しかしその反面で抽象性が軽視されたのです。自分の生き方と生涯に響いては来ない。

 自民党的生き方がいかに民主党的生き方と比べ劣るものであったとしても、民主党的生き方が物語として提示されなければ従来に自民党を信用して来た人々は自民党的生き方がやはり良いだろうと思うのです。そうなってしまうのは国は国民の生き方にまで口を出すべきではない、個人は個人の生き方にまで口を出すべきではないという昨今の日本の極めて自由な風潮も影響しているでしょう。しかし民主党がそのような風潮に忖度している間にも、自民党やその支持層は良かれ悪しかれ、陰に陽に、なかなか防げないやり方で、国民や個人の生き方に口を出しています。それを駄目だというよりも、自民党のそれに優ることを口出しするべきでしょう。

 「悪人竟に往生す。善人は自己責任。」という自民党的物語に対抗し得る非自民の物語として一つ考えられるのは国民民主党の古本伸一郎氏の信条でもあるトヨタ生産方式的カイゼンだろうと思いますが、それだけではなく他にも考える必要があるでしょう。   

  

 

 

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