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日本と世界を覆う権威主義の波――民主主義がなぜ発達しないのか?

 唐揚――:冒頭の写真――と権威主義には何の関係があるのか?

 別に嫌いでも何でもなくむしろ好きですが、私の高校の馬術部の先輩がその学校の教諭の子で、その先輩がよく昼休みに「うー…、唐揚。」と云って近所の揚物屋の唐揚を私などに買いに行かせていました。飲物はポカリスエットの1.5ℓ入をがぶ飲みで「うー…、ポカリ1.5。」。

 いわゆる使い走りというもので少なくとも当時平成初期の体育会系にはごくありふれていたこと。今は批判があるそうですがどうなのでしょう?

日本は権威主義か?

 使い走りは権威主義ということですが、今の安倍政権もまた権威主義的といわれています。日本には体育会系の使い走りなどの慣行などの歴史があることから安倍政権のような権威主義的政治とその下における風潮は日本に独特のものであるかのようにいわれてもいますが日本だけではなく今の世界の傾向でもあります。

 権威主義の波、そして民主主義が退化したり発達しなかったりしている。

 丁度その頃に中国という権威主義国が著しく高い経済発展を遂げて世界に大きな影響を及ぼすようになっていることから、その世界の権威主義の傾向を中国のせいだという方々もいます。尤も全く何の関係もないのではないでしょうが幾つかの要因の一つでしかなく真因ではありません。もっと大きな真因に中国の影響が一つの要因として加わったのです。

 その真因とは民主主義そのものの現実の成立ち、歴史、即ち成立史にあります。
 大雑把にいうと、民主主義というものは世界史的に見てどちらかといえば特殊なもので、民主主義ではない体制が大半を占めます。今もそうです。但し民主主義ではないとは権威主義であることとは限らず、民主主義でも権威主義でもない体制が普通で、例えば江戸時代までの日本も歴史的に普通の国です。
 権威主義というのは民主化の流れの中に生じる或る種の反動として興るもので、明治時代の日本の民主化にも権威主義を求める反動があり、民主化と権威主義の妥協というか折衷というかみたいな感じで戦前の日本の体制が出来た訳です。反動を起こすとは民主主義やそれを生み出す人達を嫌うからで、権威主義には初めから憎悪(hate)の一面があります。
 中国は民主化が日本と比べ過激であったことからその反動も強く、結果として反動的権威主義のより強い体制に落ち着いた訳です。

世界史と民主主義

 民主主義と民主化の原点を16世紀の宗教革命に見る歴史観がありますがそれはやや眉唾です。活版印刷が出来たことやキリスト教のポピュラー化が諸国民に知性を啓き民主化につながったといいますが、印刷や放送などによる知識と情報の普及は当時にはさほどに進んではおらず、まだまだ一部の上流階級の間にしか広まってはいません。故にその歴史観は現実の流れを基にしているのではなく後世から見て象徴性の強い出来事として認識されている、いわば神話のようなものでしょう。

 近代民主主義の原点はそれではなく何かというとアメリカの独立、宗教革命の二百年後です。
 誤解を懼れずいうと、民主主義はアメリカの地域的現象として生まれた。今は相応の普遍性がありますが初めから普遍的だったのではない。
 そのアメリカも入植の始まりから独立までは自由主義的ではあっても民主的ではありません。
 'No delegates, no taxation.’......ではなく'No taxation without representation.'か、「代表なくして課税なし。」、それが民主主義の原点であり要諦です。単純なことで、自国に帰属しない民には税などの義務を課すことはできない――イギリスの側から見る文に置換え。――ということで、それぞれの民が自分の帰属する土地と社会に責任を持つということ――両方に通じる文に置換え。――。それをアメリカのその後の歴史に鑑みて言い換えたのが「民族自決、self-determination」。

 世界の多くの国々は植民地として支配したりされたりがごく普通のことで、民族自決という概念はアメリカに特有のものでしかなかった。
 植民地支配は支配する側とされる側の現実の必要に応じてなされるので、権威主義というようなものではありません。いわば現実主義と実力主義。
 アメリカにもアメリカなりの現実主義と実力主義がありますが世界の大勢とは異なるアメリカに特有のそれらです。
 中国の自治区の支配なんかを見ているとかなり強権的で時に残忍であることから植民地支配と権威主義を混同する向きもありますが中国はそれらが歴史的事情から一緒くたになっている特殊な例。

 しかし、今は多くの国々が民族自決を是として民主主義を取り入れています。処が今はそれが揺らいだり退化したりなかなか発達しなかったりしている。

民主主義の究極の価値観は'Simple is best.'

 アメリカに民主主義が発達しているのは古いアメリカの社会構造が民主主義に適うものだったからで、それが時代の変化に応じて変化しています。何で民主主義向きかというと、イギリスやフランス、更には日本などのような近代産業化が遅れていて農業と個人商店、そしてそれらを支える簡単な自由貿易からなる社会だったからです。社会構造が遅れているので政治が進歩したといえます。そのような簡素な社会なら、人々が自分の足で立って自分達が治めるという考え方になり易い。
 日本の民主的風土の強い地域もまた、例えば小沢一郎さんの地盤の岩手県など、産業化が遅れていながらそこそこの豊かさのある地域に多い。貧しいと政府に頼るしかないので自分達が治めようということにはなかなかならない。
 しばしば金持ちは右寄りで貧民は左寄りといわれますがその見方は20世紀に興った労働者革命論に基づくもので、歴史的現実から見ると初めから逆、金持ちほど左寄りで民主主義を志向し、貧民ほど右寄りで権威主義を志向する。なので国が豊かでなくなって来る程に自民党の支持率が上がる。豊かな人々が少ないので自民党以外の支持率が下がる。歴史の理に忠実な今の傾向なのです。

 しかし産業化が進むと民主主義は発達しにくくなります。
 アメリカも今は産業の高度化により民主主義の揺らぎがありますし、権威主義の傾向もある。
 搾取というものがそれに含まれるのかどうかは一考の余地がありますが、産業化が進むと社会が専門領域により細分されて広い社会や国への関心や責任感が薄れる。知らない奴は口を出すなとか、そもそも口の出しようもなく世の中の事柄が分からないことだらけになる。そうなるとそれぞれの専門領域における権威的存在が政治力を持ち、民の人々はそれを黙認するしかなくなる。
 アメリカと比べ格段に進んでいたヨーロッパや日本は基本的にはそのような傾向を宿命としており、その弊害を少しでもできるだけなくすという観点から民主主義が発達している。しかし、今はその発達よりも宿命が勝っている。
 折しも中国を含む世界中の後進国が雨後の筍の如く産業化と経済発展を遂げている今は、どうしてもそうならざるを得ないようです。

 そこで一発逆転を狙うのではなく、ヨーロッパや日本が従来に粘り強くし続けてきたように「少しでも、できるだけ」の民主化をする。民主主義はカイゼンと同じく終わりのない営みであり、「もう民主的になった」、「日本は立派な民主国家だ、文句あるか?」といえるようなことはない。

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