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「何かを守っておれば、他の何かを侵してもよい。」――

 最近はあまり書く題材がなくてnoteの新しい記事をなかなか出せないでいます。

 そんなことがきっかけで新しい記事を出すことが残念に思えますが、手短に語ります。

 社会距離(social distances)への反動で私(privacy)が脅威に晒されている。――その一件はそのように受け止められると思います。

 何かを守るならば何かを侵してよい訳ではありません。
 当たり前にも当たり前過ぎますが、守るべきことは全て同時に守るべきものです。
 社会距離を保つことを求められていることに不快を感じているけれど渋々と従っている人達がその捌け口として私を侵す。――
 青森市だけの問題ではないでしょうが、まず青森市は最大限に袋叩きにされるべきでしょう。
 「スーパーでちゃんと線の所に並んでいるから、バツイチの話だって訊いてもいいよね。」――青森市がそこにしていることはそういうことです。
 そのようなことが青森のような辺境にだけではなく東京!のど真中やその周辺にも平気であったりする。いや、青森よりも酷かったりする。

 「何かを守っておれば、他の何かを侵してもよい。」、それはこの国にあまりにも多く見受けられること。

 自分の信念を守っておれば、そうではないものを蔑ろにしてもよい。
 云われたことを守っておれば、云われないことはしなくてもよい。

 オリンピックの精神といかに掛け離れていることでしょうか?

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