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この齢で見つけた新しい作業のし方:営業事務職を始めて一か月:その4、業務日誌は翌朝に。

 会社のお弁当にみそ汁を導入しました。
 7-11の小袋のみそ汁がイトーヨーカドーには大袋入のがあります。それを籤引のように引いてその日のお弁当にします。
 前の会社は半額補助の仕出弁当がありみそ汁と椀が常備で電子レンジを備える台所(湯沸室)がありますが、今の会社は仕出弁当も台所(湯沸室)もなく、事務所に直に電子レンジとサントリーの給水機があります。豪華感はないものの移動距離が短く済むのでみそ汁に使う気が出ます。
 前の会社は財閥系の出資する独立会社ですが、今の会社は直の財閥系。しかし財閥系がより質素です。
 みそ汁と椀だけではなく、事務用品も前の会社は新品が普通で種類もふんだんですが今の会社は種類が限られ、全くの消耗品以外は主に再利用品。
 クリアーファイルも再利用品が財閥内に流通しており、頼んでくりやーと云うと中古のがどさっと来ます。
 筆記具や裁断具など、そしてみそ汁と椀は故に主に自前です。
 意外に思う方も少なからずや、私も再利用品の流通は意外でしたが一般に小さな会社ほど豪華な新品を買うことが普通なようです。
 しかし購入の決裁は今の会社は緩く、固定資産以外は課長の承認で購入ができます。
 前の前の会社は事務用品一つやみそ汁一杯にも稟議を要し、三人ほどの管理職と社長の承認が要りました。
 その点は逆に小さな会社ほど馴れ合いを防ぐためか決裁の制度が固いのでしょう。
 当時も今も一部の事務用品等を自前にすることは普通と考えています。特に営業職は万年筆や名刺入などを会社に買ってもらうことは如何なものかというものですが管理系や技術系の人は会社で使う物は会社に買ってもらうことが当たり前と思う方も少なくないのではないでしょうか。
 中には結構な屁理屈で、会社で自前の物を使っていると会社を自分のものにしたり自分勝手な働き振りになってしまうだろうという方もいそうです。
 勿論要らぬ忖度は良くありませんがあまり当たり前に羽振りの能い社風も良くはなく(またはその反動での空理空論的節約主義も。)、そういう風土から有象無象のハラスメントなども生まれるのではないか。

 特にその辺りの考え方や感覚が現れるのがボールペンという道具です。

 『面接の達人』の中谷彰宏さんはその一流と二流についての論に二流はボールペンを使うといいます。
 尤も、ボールペンを使わないとならない場合も少なくはなく、一流はボールペンを使わない訳ではありません。彼のいうのはその依存度のことでしょう。
 ボールペンの歴史は意外尽くめで、初めて物語は第二次世界大戦中のアルゼンチン。普及の初めはイギリスの空軍で、主に軍需品だった。その理由は飛びながら書ける(片手は操縦桿。)ということで、それが民需にも普及したらちゃんと座れない人やちゃんと書けない人々が増えた訳です。
 日本における初めて物語は戦後占領下、今は知らない人も多いOHTOが国産のボールペンを出し。
 処が東京オリンピックの頃まではそれがなかなか普及せず、政府や金融機関らも今とは逆にボールペンは禁止でした。
 一般にも普及し始めたのは列島改造の頃からで、高度成長には寄与していない。
 なら当時は何で書いていたかというと万年筆と鉛筆です。
 万年筆の文字は水気が着くと剥げてしまうので当時は職場では飲物を飲んではならないという仕来りがありました。自動販売機もさほどには普及していないので当時の会社には湯沸室が設けられ、そこで白湯や麦茶を飲むというのが職場での飲物のあり方。湯沸室とボールペンには密接な関係があったのです。
 元々の日本人の感覚からすれば職場で働きながら飲物を飲むことは必要ではないかという感じで、故にボールペンの普及と共に職場での飲物の禁止の仕来りは漸く廃れてゆきましたが湯沸室だけは何故か名残りとしてか今も普通に設けられています。

 ’80年代になると耐水の(水に流れない)水性ボールペンが出て来、書く感じが万年筆の時代に少し戻っています。
 私もそれはかなり気に入りましたがそれでも依然としてある違和感は机が硬いか下敷を敷くとと滑るし軟かいか下敷を敷かないと紙に穴が空くし、就職まではほとんど使わない物だった。
 今は耐水水性ボールペンがほとんどで、昔ながらの油性ボールペンをよく使うのは列島改造計画からダグラスグラマン事件までの頃の影響の強いポスト団塊世代とその子供達、今の年齢でいうと70歳前後と40歳前後がボリュームゾーン。意外にも団塊世代と団塊の子供世代はあの透明の柄に黒の栓の油性ボールペンを必需品としてはいない。私も団塊の子供なので親のちょい下や自分のちょい下が御用達ということです。

冷戦時代を象徴する、油性ボールペン。
かつてはそれが国民の必需品だった。

団塊系というのは良くも悪くも、新しがるようでも本音では古式床しいものを求めるようなところがある。時代を変えたものよりも耐水水性ボールペンなどのようにそれを更に変えたもの、更に進化したものを認める。いわばオリジナルよりも二番煎じまたは後出しじゃんけん。言い出しっぺは損をする。
 悪くもというのは其様的本音が近年の日本スゴイブーム、即ち国粋主義の片棒を担いでいるようなところもあることですが私は極力1ミリも加担しないように慎重に近年を過ごして来ました。

 ボールペンならともかく水性のサインペンなんて今時に使う人がいるのかと思われるかもしれませんがそれが実に重宝なのです。
 ぶっちゃけ水に濡らさなければ水性で何の問題もないですし、逆に、油を使う職場では水性でないといけない。
 私は去年まで前の前の会社でドライクリーニングをしていたので、そこで使うのは水性のサインペンでした。
 ドライクリーニングとは衣類を油で洗う洗濯の種類です。

 そうではなくても、和歌の如くさささーと書けるのが水性サインペンの良さです。
 水性でもボールペンは洗っても落ちないものが今は多いですがサインペンは大抵は落ちます。
 また、トヨタのカイゼン関係の書類などのように掲示される書類はボールペンでは視えにくく、サインペンでは視え易い。しかもトヨタの職場にはラジエーター(循環水冷却装置)とバッテリー(電源装置)の他は油は多くても水はあり得ないので水性サインペンの文字が剥げることもありません。
 宅配便の受領書の署名なんかも文字が消えたら悪いのはそれを持ち帰る業者なのですし、そこで受け取った品物が消えることはない訳ですし、その名の如く水性サインペンでささーとサインすれば良い。ボールペンで壁に傷が着いたら困るし、複写式なら一枚ずつ全部にさささーと書けば良い。複写式の伝票というのは複写もできるということであり複写で書かなくてはならないということではありませんね。それでもできるということがいつの間にかそれでしなくてはならないとされてしまうことは複写式伝票だけではなく日本の全般にある根深い問題でもあります。

 保存する公式の帳票等はどうしてもボールペンでないといけないのですがその他のメモなどにもボールペンを使うとすれば、それは中谷さんのいう二流に相当する虞があります。
 ボールペンがそもそもは飛びながら書くための道具ということを思い出して下さい。
 削ったり芯を足したりしなくてもよいものですが、それにしても消耗品なので弾丸の如く兵站を要する軍需品で、故に多目の在庫を常に要することを宿命とします。
 産業と軍事は関係のあるものですが産業そのものは軍事ではなく軍事そのものは産業ではありません。
 しかし二流の特徴の一つは関係はあってもそれそのものは本質的には異質な物事を比喩やアナロジーで同一視することです。本質的には異質でも表面的には似る面があることを以てその論拠とするのでしょうが、近年は頓に其のような風潮が強まっています。
 何でもかんでも、書くためとあればボールペンで書くというのは意識してか無意識にか、産業を軍事と同一視するという二流の比喩やアナロジーを以て世界を認識している疑いがあります。彼にとりボールペンとは(禄すっぽメンテもしないのにそれを心として称揚する、心の銃刀法違反の)刀なのです。『武士道』の新渡戸稲造さん(五千円札にも抜擢。)がそれをどう思うでしょうか?
 折しもボールペンが日本に普及し始めた時代はいわゆる再軍備、即ち軍拡とそのための改憲への志向が高まり出していた時代でもあります。

 今地震が起きました。今逸りの空襲警報が鳴る人もいるらしいです。

 さて、業務日誌のお話です。

 私の今の会社は業務日誌というものはありませんが個人的にそれをつけることにしています。
 新卒の会社には業務日誌がありましたが当時の私はそれがどうも苦手で、はっきり言ってうざいでした。会社は好きでしたがそこだけが鬼門なのです。
 今の会社にはそれがなくてあくまでも個人の自由としてしていることだから言えるような面もありますが、新卒の会社の業務日誌の問題は終業時にその日の業務のことを記すということにあると思います。
 いや、それが業務日誌というものなのではないのと思うならば単純な指摘として、あなたは業務日誌と業務日報を混同しています。
 業務日報は主に数値で構成されるものです。
 業務日誌は主に数値ではないものにより構成されるものです。
 数値情報は機械や記録表に表示されるものを転記すれば凡そ事足り、当日中に出来るものです。
 実はトヨタの事務系の方にもそれを混同している人がいるらしく、作業をしたらその都度に記録をしてそれらを帰り際に転記するという業務日誌のつけ方を著書で紹介しています。その人は5Sには優れるのでその点は大いに学ばせていただいていますがそれは業務日誌ではなく業務日報で、お上が改善を考えるための資料にはなり得ますが下々の自分が改善するための道具にはならないのではないか。
 業務日誌の求める非数値の情報は帰り際に記そうとしても、どんな人がしても曖昧になります。帰り際には帰ることに心が向いている(帰りたいか帰りたくないかを問わず、)のでその日にしたことをそこで思い出そうとしても思い出したつもりにしかならないのです。
 しかし、それが帰って食って寝て一晩が過ぎると、きのうのことがほぼすんなりと整理されてきのうよりも能く憶えています。何でかというとそこがきのうの続きでありきょうの始まりだからです。人間は未来を意識しないと過去が見えないのです。
 故に、業務日誌は翌朝に書くということを今の会社の入社の直前に思い立ち、それから一か月に欠かさずにしています。これからも続けるかどうかは未定ですが会社が要求せずとも個人の自由でしていることが一か月続いたことはなかなかのことだと思います。その内容も少なくとも今の齢の丁度半分の往年よりはましなものになっています。
 業務日誌とは業務日報とは違い、報告だけではなく予定や所信でもあるものです。
 予定そのものはきのうまでに大筋では立ててあるものですがきょうの朝に再確認が必要です。それが必ずしも朝から生業務日誌でなくてもよいでしょうが何らかの再確認を経てきょうに入ることは必要です。
 制度として業務日誌を課する会社も、その提出の期限を翌日の昼までとかにしては如何かと思います。

 そのための筆記具は是非ともボールペンではなく鉛筆(機械鉛筆を含む。)で書くことが望ましいです。
 ボールペンは書いた文字を消せないために、自ずと当たり障りのなさげ(実際にないかどうかはさておき、)なことをしか書かない癖がつき易いからで、それでは報告にも改善にもなりません。
 前の会社には私が消ゴムを使うと馬鹿にする嘱託の人がいました。

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