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意味のない改善をしないためには――改善と創意工夫の心得を考える。

 今はITの時代です。

 ――と言うと、心が時めくでしょうか?時めかないでしょうか?

 ITの時代といわれはじめて早四半世紀。そのきっかけは平成初期に発足したアメリカのクリントン政権の政策クリントノミクスで、その成果による大きな大きな好況(a great great booms)はITバブルと呼ばれました。

 時めくものは残しましょう。時めかないものは捨てましょう。
 ――アメリカにも有名な片づけコンサルタントの近藤麻理恵さんの提唱する「片づけの魔法」の奥義(the doctorine)。私もそれを支持しており、同じ片づけ系でも「要らないものは捨てましょう。そして要るものも捨てましょう。」というような「断捨離」は断固否定します。
 断捨離は捨てることを自己目的にするようなものがあります。何のために片づけるのか、捨てるのかという視点がありません。故に、断捨離を信じている方々は一刻も早く脱洗脳をして下さい――そこまで言うたら殺されないかな?少し不安ですが、――。

 ITが市民にとって時めくものになっているのかどうか?

 それを考える上での好例となる二つのものは:

 ・電車やその駅のLED案内表示器
 ・コンビニATM

 :かと思います。

 どちらもITの時代の幕開けと共に出、今は津々浦々に普及しています。コンビニATMは日本に特有で諸外国にはあまりないかと思われますが、LED案内表示器は諸外国にも多く普及しています。

 LED案内表示器は文字を点配列(dot matrix)の電飾で表示するものですが、結論から言うと、文字の形が単純な西洋には適していても文字の形が複雑な東洋には適しません。
 いや、かなり単純ぽく見えるハングル文字の朝鮮・韓国語さえ、LED表示器では読み間違いや判読不能が起こり易い。但しLEDより後に普及している液晶表示器――主に列車内の案内表示に用いられ、ごく一部の大きな駅の案内表示にも用いられている。――はハングル文字の表示に適するのでそれを機に朝鮮・韓国語の案内表示が著しく増えています。
 液晶表示器は費用が高くつくのでより性能と便利の良さの劣るLED表示器が猶も広く用いられています。

 何でそんなことになっているのかというと、一度LED表示器を導入したらやめられなくなってしまったからでしょう。方向幕をやめてLED表示器に'Change!, Change!'をすることが自己目的になり、客にとっての便利の良さが見えなくなっている。どう見ても読み易いのは方向幕ですし、文字の配置の自由度も高い。LEDを使うということなら、そのバックライトをLED燈にすればよいのです。

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 客にとっての便利の良し悪しが見えないなどの、頭の悪い人が一生懸命に考え出したことはなかなか止められない。企業にも政治にもしばしばある難問です。「俺が、俺達が、こんなに世のため人のためになる仕事をしているのに、それに文句をつける奴は許さねえ。」という薄汚い心性。
 ITバブルの余波は日本にもあり、平成中期はそれにより結構な好況になったので、その流れに乗って関わった人の中にはそういう人が結構多いのではないでしょうか。特に日本経済が後退してゆくだろうといわれつつある中でのこと、電車を一とする森羅万象をLED表示器に代えさせることが自分の豊かさを守る道だ、絶対に世のため人のためになると見て血道を上げた。
 流行の商品に群がっているだけなのでその道のプロといえるようなものではない筈なのですが、何故か自分をプロ精神を持つプロだと思っている。プロではなくたかり根性や一丁噛に過ぎません。

 頭の悪い人が一生懸命に考え出したことはなかなか止められない、それはいわゆる昭和平成の日本の悪平等の影響でもあります。頭が悪いこと、即ち知性に劣ることは絶対に批判してはならないいわゆる聖域で、どんなに不利益でも不便でも人を傷つけるようなことであっても頭の悪い人が大真面目に一生懸命に考えたことは絶対に止めてはならないという。そこではそれらが必ずしも正しいと認識されているのではないですが、とにかく頭の悪いことは庶民的で美徳だとされる。その一大象徴が電車のLED表示器。

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 博徒町だか徒花町だか知りませんが…。

 同じことがコンビニATMについてもいえます。

 少なくともこれからのキャッシュレスの時代にはコンビニで現金の預下をできる必要はありませんし、振込は計画的でなければならないものなので思い立った時に直ぐにコンビニに行って振込をすることは金銭の観念からして良くないことです。振込はコンビニよりもっと近くて早いモバイル取引でもできます。また、生体認証の利用ができないなど、コンビニATMには安全管理の面での劣位性(disadvantage)もあります。
 処がコンビニATMの普及を推進する方々はそれが近くて早くて便利だと、世のため人のためになるものだと思い込んでいます。

 ただ、銀行の本支店舗での取引にも若干の不便がまだあり、電子マネーの補充が銀行の本支店舗のATMでできるようになることは望まれます。そういうことを未決にしながらATMでの金融商品の宣伝を先にしていることは本末転倒といえるかと思います。

 因みにATMの表示器も液晶接触板でありながらその文字はまだ点配列式の文字で、しかも書体はMSゴシック、安ぽさが残ります。

 本題とはややずれますが、コンビニをめぐる問題、主にコンビニが労働強化と搾取の象徴になっていることは実はコンビニエンスストアという業態やその経営意思に因るものではなく銀行がコンビニを無駄に優遇することにより資本の偏在が生じていることにあります。いわば、コンビニさえあれば何でもできるというような「これ一つで何でも適う」という万能具(almighty tool, or 'all in one')の思想が経済の根幹を担う金融界に蔓延している。

 「これ一つで何でも適う」は断捨離の思想における捨てることの自己目的化にも通じます。とにかく捨てさえすれば暮らしが改善して幸せになれるという、実に頭の悪い思想。

 直前の記事にも述べたように、「良い品、良い考」、即ち創意工夫と'just in time, JIT'、即ち無駄を取る改善はall in oneではなく、互いに矛盾しながら現実の成果を実現してゆくものです。「これさえあれば良い。」というようなものはないのです。

 電車の液晶表示器やコンビニATMなどの「無駄をなくそうとすることが一番の無駄。」、「下手の考え休むに似たり。」の典型例を見るにつけ、この国は本当は創意工夫と無駄取りからなる改善を志向するトヨタ的なるものを心底から憎んでいるのではないかと思えて来ます。新聞やテレビなどがトヨタの現況を伝える時に、その論調に「へー…、やれるものならやってみろよ、馬鹿野郎…。」みたいな薄汚さをどうしても感じてしまう。'It is FAKE NEWS!, fake news.'。

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