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選挙の投票率がなぜ上がらない?

 前二つの記事に、電子マネーが日本になかなか普及しない理由を考えました。日本人は認証という過程を嫌うからで、故に現金を好み、顔パスを理想とします。IDが記載或いは記録された券――裏が黒の切符は指紋の着く券――を呈示して認証を受けることにより入構や支払をする認証というものは自己肯定感の低い日本人にとっては選別や排除を感じさせて好ましく感じないのです。なので電子マネーを好む私などのような人は「得意げにピピっとかやってて偉そうじゃない?」などと思われがちです。

 そう思う日本人は散らかっている財布を取り出して列の後ろの客を何気に気にしながらもたそわっと現金で支払うことを好みます。

 しばしば日本は村社会的で排他的だといわれますが、その村社会的なることというものは実は排他性ではありません。電子マネーのように認証を要することは一方に認証されない者がいることが前提なので排他的ですがそのようなものを嫌うので排他的ではないのです。村社会というのはalmightyな効力のある現金や水戸黄門の印籠のような権威が通用してその中の特に偉い者が色々なことを顔パスで行うことのできる環境のことです。偉い者だけは顔パスのような形での認証を要するのですが券を持って手続をすることを要しません。何でかというと偉い人には面倒を掛けてはならないからです。

 村社会は選別や排除を嫌うので、選別の基準や排除の論理を持つ人は排除されます。「村社会は排他的」といわれるのはそのような意味であり、排除する人を排除する訳です。そのことは近年の日本における多様性の尊重や個人の自由という観念についてもそっくりそのままあてはまります。自由主義を自負する人ほど村社会的なのです。それが極めて典型的に顕れた出来事が小池百合子東京都知事の「排除しないということはありません、排除致します。」という発言に反発した方々による立憲民主党の結成で、小池知事とその一派――現:国民民主党――は村社会の多様性と自由を毀す者だと判断された訳です。

 逆に、いわゆる村長さん型の人物というのは人間を選別したり排除したりは決してしない、村人を自由放任にさせてくれる大らかな人です。

 村長さん型の者が治める村社会は多くの場合は選挙の投票率が高い。

 ただ、投票率の高い地域の全てが村社会ではありません。そうではない理由で投票率の高い地域もありますが、いずれにせよ地域の帰属意識というものが関係し、地元愛の強い地域は投票率が高いのです。アメリカを除く西洋諸国の多くが村社会的ではない地元愛の強い地域です。アメリカは家族愛が強いですが地元愛がおしなべて薄いので投票率がおしなべて低い。日本の都市部の多くもその点はアメリカと似ています。

 村社会的地元愛の強い地域は投票所に来る人々が皆知り合いなので受付が事実上の顔パスですし、投票の秘密ということについても考える必要がありません。「自由と民主主義を守る」党に投票すれば仮にそれが知られても恥ずかしいことは何もない、堂々としていられるからです。同じことは実は都会の「立憲主義を守る」党に投票する人についてもいえ、自分が正しいと思うことをしているのだから何も恥ずかしくも怖くもない、仮に投票の秘密が守られなくても堂々とすべきだという感覚の人が多い。

 しかし自由と民主主義、立憲主義において本当に大切なのはどの党を支持するかよりも投票の秘密が守られることです。矛盾するかのようですが、投票の秘密が守られているからこそ私はどの党に投票する/したと平気で言えるのです。

 投票所にほとんど知らない人しか来ない都会は受付で整理券を呈示して認証を受けて投票用紙が交付されるという手続が厳格に行われます。事実上の顔パスではありません。そのような環境では、顔パス願望の強い日本人は違和感を覚えますし、地元の重要な拠点である学校でそのような厳格さへの違和感を覚えたら地元愛を持つ気にはなかなかなれないでしょう。勿論、そのような選挙の手続が悪いのではなく、有権者が馴染めないだけです。

 尤も、地元愛が強いとされる名古屋において市長選挙の投票率が三割にほどしかないという例もあり、地元愛と選挙の手続だけが投票率を左右する訳ではないのでしょう。しかし基本としては地元愛が強い程に投票率が高くなるのです。

 なので、しばしばいわれる政治への無関心や失望ではありません。選挙そのものを経験的に嫌いなのです。

 私は投票ではなく選挙活動に関しては選挙そのものを経験的に嫌いな点もあります。しかし投票日には選挙活動がないので安心して投票することができます。

2009年、民主党が大勝した選挙の投票率の高さ

 おしなべて投票率の低い傾向の続く昨今にあって2009年に民主党が大勝した衆議院総選挙は例外的に投票率が高まりました。

 なぜでしょう?

 民主党が政権を取ることを期待されたから?

 自民党が政権を続けることが望ましくないとされたから?

 政治への関心が高まったから?

 ――どれも外れです。

 民主党への支持が急速に高まったのでも自民党、殊に麻生政権への支持が失われたのでもありません。

 むしろ、麻生政権とその時代の状況が良かったので民主党も選択肢の一つとして信用されるようになったのです。

 2009年は2008年に生じたリーマンショックによる内外の経済の落込が凡その収束を見、経済と生活が再び上向き始めた頃です。実際にはまだ上向いていなくても上向きそうだという希望が開けて来ています。

 そのようなぽかぽかと暖かい――温暖化ではありませんが、――状況の中、多くの国民の地元愛も芽生え始め、選挙に行ってみようという気分が生まれたのです。当時の麻生総理は今のほどには失言もなく、そこそこの政治をしてなかなか良い雰囲気の政権でした。麻生政権が信用されていたから政治が総じて信用されるようになって民主党も信用されるようになったのです。

 多くの国民の地元愛が芽生えた理由は――今は危うくなっていますが、――ネットの普及もあり、地方が豊かになったことと大都市圏の出身者が増えたことです。地方が豊かなら都会に出る必要がないので大都市圏への人口の流入率は減少の傾向になります――但し東京特別区だけは当時も人口の流入が増加の傾向にあった。――。地元に縛られるという認識なら地元愛は生まれませんが、当時は経済の状況も良く、地元で暮らし続けることは良いことだという認識だったのです。そのような状況に、民主党の予てより掲げていた地方分権の政策観も適いました。自民党の政策観はどちらかといえば都会への出稼や転勤を促し、田舎は残った人達だけで和気藹々と暮らすのが良いというものです。なので総選挙がリーマンショックの2008年なら民主党は勝てなかったでしょう。

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 そして民主党政権への支持が失われたのは東日本大震災とも消費増税とも関係がなく、それも麻生政権と同じく、民主党政権の下で当時の経済と生活の状況が良くなるあまりに自民党的上京志向が強まったからです。そうなると地方分権と地元愛という民主党的主題は吹き飛び、不安定でも刺激がほしいという願望になり、その願望に応えたのが安倍政権のアベノミクス、とりわけその「三本目の矢」である成長戦略です。そういう雰囲気なので安倍政治が国民の暮らしを不安定にしているという批判は馬耳東風です。しかし地元愛は弱まる傾向なので安倍政権への支持率が高くても選挙の投票率は下がることになります。

 安倍政権が7年目の昨年2019年に消費増税がありました。

 消費税が高くなると都会に移り住むなんてとても無理という感じになるものなので、今の野党にとっては有利になることな筈です。  

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