美意識は刷り込みでできる。
今朝は関東に初雪。危険を顧みるとあまり無責任なことは言えませんが降り注ぐ粒が揃っていてとてもきれいで美しい雪景色です。
昨日の夕餉はお正月の最後の餅雑煮でした。正月だけではなく冬はいつも食べるのでまだ本当に終わりではありませんし一年中をお正月気分にしたいのですが、一応の区切りを着けるということで年末からの腐りかけているかもしれない里芋を空けたりしながら丸角両用、W餅のお雑煮を。
写真は角餅が隠れて見えませんが焼角餅が入っています。私は餅については丸餅が美しいと感じるのでどうしても丸餅が前面に出て来ます。
ただ、失敗もあり、湯を煮立たせた後に置いておいた時間が長くて具が縮んでしまいました。特に軟らかい土佐甘唐芥子――写真の緑の――や椎茸は小さくなって質感にも精彩が欠けます。
繊維質のもの、即ち食べ物の多くは冷えると縮む。更にそれを温め直すとふにゃらけながら固まって形が崩れてしまうので調理の時間は本当に大切です。
人の体が冷えると縮こまるのも同じ理由なのかもしれません。
この年の暮れ明けに作った餅雑煮には他にこんなのもあります。
竹輪だけ。私にとっては竹輪は珍味なので竹輪だけというのもあります。
大根の葉だけ。極めてスパルタン。
私の標準形としている百合根と蓮の餅雑煮。
それと同じものを角餅仕様にしたもの。南関東風に海苔が加わり、葱を念のために白のみに。
大晦日の筍。
元旦は至って簡単な。
関東風あかみそ餅雑煮。薇(ぜんまい)や蕗(ふき)など。
牛ホルモン。大根との相性が好い。
正月の料理というのは「普通のことを一段と派手にする」ことと「年の瀬の忙しさを離れてなるべく楽をする」ことの両立なので、その中身や形式そのものはお正月だけのものではない、なので今からでもどんどん色々な雑煮を食べてみてはいかがでしょうか。
餅の丸形と角形――ということで、今日のお話は美意識について。
美しさの認識には二面性があります。
一つは:実用的に理に適うこと。
一つは:見慣れていること。
餅が丸いのは熱が均等に通り易くて煮崩せず、重量の均衡が良いので箸で摘み易いからです。実用的に良いと使う際のストレスが少ないのでそれを美しいと感じ易くなります。
しかし丸餅は違和感がある、角餅が好いし美しいと思う人も結構います。何でかというと、見慣れないからです。よほどに箸にも棒にも掛からないのではない限り、実用性が低くて非合理的でも見慣れると美しいと感じ、それ以外のものはあまり美しくないと感じるのです。
中には箸にも棒にも掛からないものこそを美しいという人もいますが、それは多分に感覚ではなくイデオロギーでしょう。
ものによっては、角形が実用合理的なものもあるし、丸形が実用合理的なものもあります。例えば丸い形のノートは不合理で実用的ではないと考えられています、私はむしろかなり実用合理的で良いと思いますが。
餅については丸形を好む私も、電車や自動車などの車輛はなるべく角張っているのが好きです。
扉の窓が角張っている、京王電鉄の標準形。◎。
同じ型式の中後期の車輛。扉の窓が丸ぽい。△~×。
造り手からすると曲線のR値とコストは無関係なのでどちらも同じなのでしょうが、使い手からするとそんな所を丸くしてもらっても意味がない。ただ、それも他所で同じような形に見慣れている人にとっては美しく感じられたりする。因みにこれと同じ形を標準形としていたことがあるのは東武鉄道。
実用合理的で見慣れている:とても美しい
実用合理性に欠けるが見慣れている:美しい
実用合理的だが見慣れない:よく分からない
実用合理性がなくて見慣れない:醜い
美しさの認識や感覚は「慣れ」、即ち「刷り込み」という点が小さくないことが分かります。
お姫様好きな男はお姫様型に見慣れているからなのですし、才色兼備なのになかなかもてない人は見慣れない人が多いからです。才色兼備な女は少ない――といわれる――からでもあろうし、才色兼備にも色々あるからでもありましょう。
一概に紳士服は実用主義で婦人服は趣味主義といわれます。
例えばパンツやスラックスは実用的でスカートは非実用的と、必ずしもそうではないのですが、婦人服が実用より趣味性を重視することは「共通の趣味」という範疇(カテゴリー)を形成して多くの人を見慣れさせることにより美しいという錯覚を生じさせるためでしょう。故により広く長くはやった形式に装う女がもてやすい。
しかししばしば聞かれる紳士服はポケットが多くあるので実用的だというのはいかがなものかと思います。あっても使わないなら逆に単なる装飾ですし、手を含め何でもポケットに入れることは5S――:整理;整頓;清潔;清掃;躾――に反して不合理です。確かに婦人服にはあざとい面もありますがあまり無暗に婦人服を不合理で差別的という女はだらしない型なのでしょう。
丸くすると良いものは丸く、角張ると良いものは角張らせ、それが美しさの秘訣なのですが、何でもかんでも皆丸いのが好いという丸好きな人も多い。
そのような美意識の原点は実は巨乳ロリータオタクの多い日本だけではなく、意外にも私も好きなイタリアの地にあると考えられます。
一つは西ローマ帝国、もう一つはルネサンス。
例えばコロッセオなどの円形劇場。
ギリシアにも円形劇場はありますが古代にはなく、ローマ式が導入されてのもの。ギリシア正教のビザンツ様式の円筒形の塔のある聖堂も東ローマ帝国の初代の皇帝コンスタンチノスが西ローマの出身だから。
物を丸く成形することは角形に切り出すだけより高い技術を要し、丸いものを作れることは文明の誇示になるからかと考えられます。ローマはギリシアよりずっと田舎なので「俺達はデキるぜ!」と自慢したくてしようがない。
日本も古くから、概ね戦国時代の辺り――ルネサンスが既に始まっている。――からローマの影響を受け、まずは城を丸くないのに「丸」と呼ぶようになった。「丸」とは尊いものという意味で人や船の名にも用いられるようになる。
古代の日本は奈良を見ても京都を見ても角張っているものが多い。日本は元々はギリシア的角形志向。技術や権力を誇示する点は丸くすることではなく反らせたり――それも曲線だが、――張出を強めたりしてエッヂを利かせることだった。それは戦国以降の城にも受け継がれています。
日本は密集地が多く、丸い建物は土地の余白が多くなって非効率なので建物ではなく道具に丸いものが多くなっている――大阪のマルビルは例外的。――。ごみ箱は角型の方が使い易いものですが円筒形が多い。
オタクの主な目的が趣味を楽しむことよりも国の技術や権力の誇示にあるのと同じように、丸いものが国の技術や権力の誇示になる。
時計は回るものなので目覚などの置時計でなければ丸い時計の方が理に適っていて美しいのですが、逆に掛時計を角形にする人は多分丸いものに象徴される誇示ということをひどく嫌い、自分を大事にしたい感覚の反映なのでしょう。
西ローマ帝国、ルネサンス、そして戦国日本――その時代からの刷り込みを通して美意識が形成されている。丸いことは良いことだとばかりに丸いものが増えてやがて見慣れると実用合理性を大なり小なり度外視して丸いものを選ぶ。モナリザは究極の美といわれますが、本当にそうでしょうか?――今日の私の服は奇しくも全身がモナリザ色ですが、――。画家にも何か裏があるかもしれませんしそうではないとはいいませんが、少し考えてみる必要がありそうです。
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