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「割とタイミング良くてやばい、」:日本の真の流行語と、「食の時代」の終(はて)に改めて考える日本料理の割とやばい情況:その5

 その1〜その4に「タイミング」や「やばい」などの意味不な流行語について言葉の鍋を突きながら語ってきましたが、近年の流行語で割と良いと思うのは「割と」です。

 割と良いというよりは寧ろ本来の日本語が戻って来つつあるとても良いことなのかとさえ見えます。

 「割と」の同義語や類義語は「幾らか」、「幾分」、「比較的」や「結構」など。
 少しなのか大いになのかを特定しないことで主体(甲)と対象(乙)の違いについての認識に幅を持たせる意味合いがあります。
 平成の時代は自分や自分達を少しでも賢そうに見せることが思潮と行動様式になっていたため、それらの内の「比較的」が圧倒して多く遣われていましたし平成の過ぎ去った今も猶そうです。
 しかし平成が終わり令和の大号令を聞こうとする頃から、主にTwitterに多く「割と」という懐かしい語がしばしば聞かれるようになっています。
 それが懐かしいというのは私が生まれ育った頃にはそれが割と多く聞かれていたし私も何となく遣っていたからです。「割とよくあるタイプの君よ、」などなどと歌われていた時代です。
 しかしいつしかほぼ死語になっていました。

 割とではない、もっとだ。
 妥当をではなく最適を考えろ。
 リスクを取ってチャレンジしろ。
 必ず最後に愛は勝つ。

 何だったのでしょうね??

 そんな時代を鑑みて電撃引責辞任をかましあらせられた明仁天皇に私は心の底から東方礼をしました。そんな31年間をしか陛下に捧げられず申し訳ありませんでしたという思いです。

 割と良いものを食ばれ、割と良く暮らす。

 そういう時代に、あなたもなりたくありませんか?

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