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二十一世紀の二十年に、関東がかなり関西ぽくなって来ている。

  冒頭のこの写真、線路を見ると幅が広く見えませんか?ーー見えない?

  見る角度により大きさが違って見えるからですが、この駅のある関東は鉄道の線路(軌道)の幅の狭いものが多く、それを狭軌といいます。
 大手鉄道事業者の内のそれを採用しているのは西日本鉄道、近鉄南大阪線、南海電鉄、西日本旅客鉄道、名古屋鉄道、東海旅客鉄道、相模鉄道、東急電鉄、小田急電鉄、西武鉄道、東武鉄道、東京地下鉄と東日本旅客鉄道で、関東には圧倒して多い。
 そうではないのを採用しているのは幅の広めの国際標準軌が近畿日本鉄道、阪急電鉄、阪神電鉄、京阪電鉄、大阪市高速電気軌道、京浜急行電鉄と京成電鉄で、関西には圧倒して多く、また、それより少し狭い馬車軌を採用しているのは京王電鉄。

 JRも新幹線だけは国際標準軌なことから、よく国際標準軌は高速走行に適するというように誤解されているようですが線路の幅の広さがもたらすのは車輌の車体幅と重量に対する安定性であり、走行速度の高さは逆に線路の幅が狭いほどに有利になります。新幹線はでかいので線路の幅が広いのであり速いからではありません。

 そういう科学的誤解や無知はよく「できない理由」のネタにされます。
 近年は複々線などの条件の改善などにより少しずつ変わって来てはいますが関東の鉄道はおしなべて遅いという定評があります。
 それを速くすることの「できない理由」としての定番がその線路の幅の狭さと運行数の多さです。
 しかし名古屋鉄道は関東と同じ狭軌で関東の再混雑区間等と同じ一時間に三十本の列車を名古屋駅の付近で捌いて混雑時にも高速運行をしています。しかも名古屋駅の線の数は小田急電鉄のかつての下北沢駅(現在は4線。)と同じ2線。
 しかもしかも、名鉄名古屋本線の両端の豊橋駅と岐阜駅はいずれも1線で、前の列車がいる間は次の列車は入場ができません。余裕の大容量で迅速にやるということはできない条件で迅速にやっている。尤も、豊橋行ではなく近くの支線の豊川稲荷行などに行先を分散させているから可能なのでもありますが。
 名古屋などのある東海地方はまあよくいわれるようにトヨタなどのカイゼン産業の栄えている地方で、できない理由というものはよほどに念入りに検証してからでないと相手にされない土地柄でもあります。私は名古屋での暮らしを経験しているのでそういう感覚が分かりますが関東人などに同じカイゼン感覚を求めることはやや酷かもしれません。

 なので、関東は東海地方ほどのカイゼン感覚には及ばないまでも精々関西ほどのカイゼン心が普及することが望ましいですが、近年は関東中がそうなるとはゆかないまでも、幾らかはそんな関東が関西ぽくなって来ていると感じられます。

 私が東京の学生だった頃は、東京などの関東地方は辺りを見渡すと黒ばっかしでした。
 老若男女、関東の人々は挙りて黒の服を着ています。
 満員電車は烏の動物園です。
 大喪の礼ではありません。平成一桁時代はそういう人間の景観でした。
 鉄道の車輌や各種の製品にもブラックアウトという黒色の部分を際立たせる設計が普及し、それが二十年三十年後の今も「物」に関してはまだ続いています。近年の鉄道の新型車等も窓枠などに黒い板を使うものばかりですね。
 しかし、「人」に関しては、黒尽くめの景観というものはほぼ見られなくなっています。
 そうではなくなり、関西風というほどではないにせよ、近年の関東は関西にも普通に見受けられるような色々な趣の装いが見受けられるようになっています。
 2010年代はそれでもまだN印などの運動靴が偏重されている感じでしたが令和になり2020年代になると革靴が増えて来ています。
 服にしてもドレープなどの華やかな質感ものが最近は多く見られます。平成の関東にはあり得なかった景観です。

 そうなって来ている理由として考えられるのは今や関東も関西と同じく衰退しているからというのも一つはあるかと思われますがそれだけではないもっと大きな理由があるでしょう。
 かつては東京は世界の東京でしたが今は世界の大阪に、いや、世界の京都に、果てには世界の広島でしかなくなるのではないのかという勢いです。いやもっと、世界の千早赤阪村という位に。

 衰退を喜ばしく思う方々もいますが一概にいって衰退は良いことではありません。殊になんちゃらウィルスが問題になっている今とこれからは国と社会が発展し直すという感じでないといけないでしょう。

 では何が理由かというと、一つには平成初期から人気を得た、かつての笑福亭鶴瓶仁鶴や笑福亭鶴瓶などの上方落語系や上岡龍太郎などの高踏派漫才とは異なる、ダウンタウンやナイナイなどの新感覚のお笑い芸人の影響もありますがそれも限定的でしょう。
 むしろ彼らは笑福亭一家や上岡などのように関西の芸能の伝統感覚を理解することを要せずに関東の感覚のままで関西芸人を愉しめるという新しい境地を開拓したので逆にある面では関東の「できない理由」を強化したともいえます。それをうすうすと物語るように、彼らは近年に近代東京政府の下における我が国の歴史的に形成して来た差別的感覚の発言を呈しています。今やダウンタウンやナイナイは典型的関東人なのです。

 また、2008年頃から出た大阪・日本維新の会もほぼほぼ関係ないでしょう。
 維新の会もまたダウンタウンやナイナイなどの平成初期からの新感覚のお笑いの延長線にある存在で、彼らのいう「既得権の打破」とはいわば「既得権があるからできない。」、延いては「既得権がなくなるまでは何もできない。」という「できない理由」を再生産するものであり、改革でもカイゼンでもない惰性的守旧に過ぎません。
 私はそれでもその創始者の橋下徹氏についてはなかなか示唆深くて面白いことを言う人だと好感していますが彼の指に止まった新政治家の方々のことごとくが愚昧過ぎて無理です。

 では何が今の関東を関西ぽくさせているか?

 一つは先述の衰退の傾向とも関係しますが、平成の三十年に亘る長期の停滞の中、黒尽くめで承認欲求を満たそうとする関東のかつてのあり方に誰にいわれるともなく嫌気が差して来た。そこで自ずと選ばれる装いや行動の選択肢が「日本第二の都会」といわれる関西のような感覚のものだった。第一が駄目なら第二をということになるものです。
 もう一つは東京都知事になって高い支持を得た石原慎太郎や小池百合子が関西の出身なこと。それは昔なら考えられないことでした。長たる人物の属性や性格は全体に影響します。
 また、実態はともかく掛け声だけでもカイゼンや生き残りということがいわれる中、関東的なるものはそのための規範としてはまず脱落と何となく認識されているのでしょう。なので関東の有力企業等もこれでは「やばい」ということでかつての大阪に広く見受けられたようななり振りを構わないえげつない宣伝広告をするようになっている。しかし所詮は猿真似で、えげつないというよりは単に下品なだけだったりします。

 功罪様々な、今の関東の関西化。
 その罪の部分を改めるためには、関東的、東京的なるものを以てしては無理です。何しろアテネやカルタゴをも凌ぐ人類史上最悪の風土の都市圏です。
 そこで関東の希望になるのはやはり、神奈川県ではないでしょうか。
 源氏による鎌倉幕府をはじめとし、そもそも神奈川は関東の中でも関西的風土の根強い地域です。
 私は関東ではほぼ神奈川県内にしか勤務したことがなく、社会人としては満員電車での通勤をしたことがありません。
 只今黒岩祐治神奈川県知事は神奈川県には来ないで下さいと呼び掛けておられますがそれが終わったら横浜の中華街や江ノ島、箱根などだけではなく神奈川の風景を目やにをかっぽじって見てみることをお奨めします。

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