見出し画像

便利と不便は何が違うか:買物袋を自前にしています:その2

 ♪もらイモン もらイモン ホンワカパッパ ほんわかぱっぱ もらイモン

 この写真の私の買物袋は貰い物です。

 この記事は便利と不便について考えます。

 人間が何かを便利にしようとする際には、まずあるのは不便だという認識です。
 即ち、便利の前に不便があるのです。
 「人類は火を起こした時からエネルギー革命がはじまった。」という政治家のポスターがありますが、或る人が或る時に或る所で初めて火を起こした時には火を起こさないと不便な状況があったからでしょう。
 何も不便を感じてはいないけれどもっと便利になるかもしれないと思って何か便利なものを考えることもありますが、そのような動機には既に認識している不便はないけれど何か認識されていない不便があるかもしれないという仮定があってのこと。いずれにせよ不便が先にある。

 では不便とは何かということを先に考えると、実に身も蓋もなく、不便とは便利ではないということ。不便は便利の反対語ではなく打消語に過ぎないからです。「不便とは便利ではないということだ!」、何だかのび太の哲学のようですが。

 「不-」という打消語が打消される語より先に存在する。考えてみると不思議なことです。よりドラマティックな表現で言うなら、奇妙なことともいえる。

 便利さというものはそれがまだ現実には存在してはいないにもかかわらず「不便」に打消されるものとして、即ち「本来はあるべきもの」として人間の想いに存在しているのです。
 それをユダヤ・キリスト・イスラム教の文脈でいうと、神による天地の創造の初めの時こそが最も便利な状態ということになります。仏教の文脈でいうと、この世は初めも終りも常に不便だらけだということになる。

 その故か、ユダヤ・キリスト・イスラム教圏における便利とはどちらかというと複雑(多様)な現状をより簡単(単純)にしてゆくことという意味合が強く、仏教圏における便利とは単純(簡単)な現状をより多様(複雑)にしてゆくことという意味合が強い。
 日本はどちらの影響をも強く受けているので、前者のような意味合での便利と後者のような意味合での便利が併存したり時に相克したりすることが常となっている。
 「多様性(diversity)の時代」というのは良くも悪くも、仏教圏的発想なのです、物事の選択肢がより多くなることが便利であり幸福であると。

 これは次以降の記事に考えたいと思うことですが、人間は何を信ずるにせよ、基本としては序列(パターン、pattern)の認識を脱することはできません。全ては序列である。多様性や複雑系といっても、そこには常に序列、pattenの体系が何らかの形で存在する。
 ユダヤ・キリスト・イスラム教圏においてはその人間の本質が既成の序列が新しい序列に勝とうとする闘争として現れ、仏教圏においてはそれが人民の好みの変化や不変化、即ち選好に基づく淘汰として現れる。淘汰という概念は元々はユダヤ・キリスト・イスラム教圏の伝統としてはない。近代の当地の経済学者らが植民地化の対象である仏教圏の観察研究をする内に出て来た概念だろうと思われます。或るものが潰れてなくなるのは闘争により潰す意思によるものであり選好の変化などの自然の淘汰というようなものによるものではないというのです。
 どちらが真か偽かではなくどちらも本当ですが、いずれにせよ前者には征服という文脈における序列の意識が存在し、後者には選好という文脈における序列の意識が存在するのです。それらのどちらにも敷衍応用をすることのできる概念が序列の認識、recognition of patternsです。

 そのことから、不便とは征服の不可能な状況・選好の不可能な状況といえるかと思います。

 元々複雑多様なことを嫌い物事を簡単にしようとする風土においては、そのように征服することのできない状況が不便と感じられ、元々単純一様なことを嫌い物事を複雑にしようとする風土においてはそのように選好することのできない状況が不便と感じられるのです。

 それを考えると、世の中、殊に日本を便利にしてゆくことは一筋縄ではゆかない命題であるといえます。

 日本は歴史的にそれらのいずれの影響をも強く受けているので一概に「日本の良さ」といってもかなり水と油の違いで色々な意味合があります。アップルコンピューターの創業者スティーブ ジョブスが日本の禅を好み猫飯を食べていたというのは、その本質においてはユダヤ・キリスト・イスラム圏的簡単志向であり、むしろ西洋思想の純化であるといえそうです。
 故に、Mac, iPodやiPadを使いながら多様性の実現を説くことは自己矛盾、更に悪く言えば欺瞞であるといえるかもしれません。因みに正直にいうと、私はパソコンはWindows Vistaをこよなく愛用していますが、iPodを使っていてパソコンもいずれはMacに代えたいと思うので、多様性志向ではありません。
 Windows Vistaが不評だったのは多様性や複雑系を重視するマイクロソフトにしてそのようなアップル思想に歩み寄ったからでもあるのではないかと考えられます。

 故に、便利とは何かや不便とは何かということについては一筋縄では定義し難いのですが、その一応の定義を次の記事に示したいと思います。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?