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2010年代を総括:で、どんな時代だった?

 今年は2020年です――「知っとるわ!」
 2020年は2020年代の始まり、その前は2010年代でした。
 2010年代とは平成22年から令和元年までの十年。

 偶々ですが、平成元年が1989年なので、平成の世の始まりは1990年代の始まりを控えるかのような時になり、令和の世の始まりは2020年代の始まりを控えるかのような時になりました。

 ここに、2020年代の始まりと共に過去となった2010年代がどんな時代だったかを分析して総括してみます。

 元々は私は保守で左翼が嫌いだったので、極左革命運動の用語として遣われていた「総括」という語には違和感がありました。その「総括」とは「自己批判」という概念と一組のもので、事象をobjectとして総括して自己をsubjectとして批判することにより新しい革命的境地を開こうとするものです。
 その「自己批判」と「総括」という概念は手を変え品を変え、形を変えて平成末期及び令和初期の今の「自戒を込めて」と「まとめ」という概念になっています。
 そのことは、かつての極左革命運動の価値観が今のグローバリズム的保守の価値観に陰に陽に乗り移っていることを窺わせます。

 私は生まれた時から保守でしたが、かようなグローバリズム的保守はなかなか理解不能なものです。

 ※:私は2019年10月より43年10か月に亘り自認していた保守をやめて左翼に転向しましたが、それから10か月の2020年8月に、保守に完全に回帰しないまでも、いわば「保守兼左翼」という考え方を取ることに変更しています。
 支持する政党は今の処は選挙区は自由民主党・比例代表は(残留組の)国民民主党・地方は適宜とすることにしています。

 ただ、私はそうだからといって自らを安易に中道とか保守本流と位置づけたくはない。それはいわゆる思考停止になる。
 そもそも極端や極論は嫌いだし、オンリーワンとか尖がれ(とんがれ)というような考え方を嫌います。しかし中道や保守本流を自認することもまた、それらの対極の極端や極論になるものです。

 2010年代がどんな時代だったかを語る際に一ついわれているのはその十年が極端や極論が支配した時代だったということです。

 :何ででしょう?

 ――私の2010年代の幕開は公共職業訓練でした。

 私のように人間性、職業能力も容姿も非の打ちどころのない者が一人の失業者として職業訓練を受けるのです。
 尤も、私は職業訓練とか生活保護とか、それ系のものには元々違和感がないので、むしろ面白そうだと思って受けてみました。
 それに先立ち、横浜市の貸付金を踏み倒したりしています。

 「それ系」とは政府による国民各位への補助ですが、人間性、能力や容姿を問わず、それを肯定すると自分がそれを受けることになり、否定すると受けることにならない。
 突き詰めて考えると、自分の否定するものを受ける筈がないのでごく当然の理ともいえますが、肯定とはあくまでも可能性なので、その可能性を肯定していたら本当にそうなるというのはいかにも由々しい思潮とその実践が支配しているといえるかと思います。

 職業訓練というのは失業に困っている人だけではなく、全然困っていなくても働いてみたいのでそれに備えて訓練を受けてみるという人も少数ととはいえおり、彼らは訓練場の雰囲気を明るくしてくれます。中にはかなり高い職業の経歴のある人もいました。或る人はそのかつて勤めていたのが麒麟麦酒とキューピーの営業職であったことから、麒麟麦酒の横浜工場とキューピーの仙川工場の見学を手配してくれ、受講者の一同がそれらの見学に行くという機会がありました。そこでは勿論、ビールをただで飲め・マヨネーズをただで貰えます。全くのフリーライダーなだけではなく、職業訓練を受けると毎月十万円の給付金を受けられます。但し私はその十万円の半分を親に取られたため、毎月五万円の収入にしかなりませんでした。
 また、講師の二人が元三菱商事の職員で、しかも二人とも私が新卒就職の頃('90年代後期)の三菱商事の会社案内に出ていた人物でした。私は総合商社には興味がなかったので全く訪ねませんでしたが客観的に見てなかなかの豪華さです。
 因みに三菱の伝承は「詰めの甘い仕事をするな。」ということだそうで、私も三菱電機の契約社員になったことがありますが、まあまあその通りだったなと思います。2010年代の日本が詰めの甘い仕事をしない時代だったのかどうかは分かりません。

 色々と有意義で愉しかったけれど、それを半分にされていた2010年。

 十万円が貰える筈の処を五万円しか貰えなかったその年に、職業訓練で卒業記念として贈られたWindows XP on FUJITSU FMV デスクトップにインストールして使うべく当時の最新型のExcel 2010を購入。
 Officeのソフトは二台までインストールのできるもので、今使っているWindows Vista on FUJITSU FMV-BIBLOにはその二台目が入っています。
 Windows 8や10なんて見たこともないので、私のとってのWindowsの最新鋭は兄に借りて使っていたWindows 7とOffice2010です(Vistaの標準はOffice2007。)。

 そして、冒頭の写真の東京メトロ千代田線の16000系が2010年の秋に新製され、鉄道も自動車も新型車が不毛だった2010年代には数少ない'10年代の魅力的車輛。

 Office2010やiPad、東京メトロ千代田線の16000系、そしてAKB48選抜総選挙における大島優子の連覇など、2010年は頗る(すこぶる)華々しい幕開きでしたが、後が鳴かず飛ばずで、2010年代はほぼほぼiPadとiPhoneしか魅力なものの出て来ない時代だった。
 そのiPadをそれから十年を経る今年2020年に私は購入(2010年型ではなく最新型です。しかも踏倒歴のあるauの審査を通ってauの20GB。)。

 そんな不毛な2010年代も末期になるとトヨタクラウンやカローラが久々に意欲と魅力の感じられる型を出したりして少しは世の中が建て直っているのかなという気もします。

 そしてAKB48もほぼほぼ終りに近づいており、風俗に関してもそれに代わる新しいものの創出が必要になっている。

 私も2010年に生まれたiPadに非常に触発されて十年遅れで手にしたりしていながらいうのも何ですが(この記事は近々オフライン専用になるWindows Vistaで書いています。)、2010年代を総括すると、それはAKB48のキーワードにもなった「ネ申」にあるといえるかと思います。
 AKB48が「ネ申」になり、iPadとiPhoneが「ネ申」になり、千代田線の16000系を含む東京メトロが「ネ申」になった。

 それらは紛れもなく世界のオンリーワンかつナンバーワン。
 しかしそんな「ネ申」のみを、その良さを本当に理解しないままに「ネ申」の呼声に反応し或いは忖度してその他のものを生み出しては来なかった。そういう魅力なものの出て来た時代に生きる人として、では、自分(達)には大なり小なり何ができるのかを考えてみることのなかった時代。
 広島カープが「ネ申」になった――では何なのか?、何もない。ただ一時の「ネ申」ぶりを軽薄に称揚するだけで『ゆく年くる年』を迎える。

 「♪ナンバーワンにならなくてもいい 元々特別なオンリーワン。」:そう歌う彼らがお葬式の如く身を引いたことは、貴方自身の敗北宣言を先取りして引受けてくれたものと見るべき。
 「オンリーワン」といわれて、そう持ち上げられて、何が嬉しいか?
 例えばこのコロナ禍にあって「オンリーワン」といわれることに何の意味があるだろうか?
 その「オンリーワン」がウィルスに感染して亡くなったら、その時は残念がられるかもしれない。しかし、その年の根も乾かない内にすっかり忘れ去られ、若しくは、故人の何も望まない尾鰭が付け加えられたりしていい加減に扱われるようになる。

 故に、私は全く使う気はないけど、Windows PhoneやMicrosoft Surfaceを使う人がいたら、逆に凄く尊敬するです。あれだって何らかの需要に十分に応えるものなはずです。 

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