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少子化の原因は 子を育てにくい経済か 子を育てたくないという思想かーー経済と思想の相互依存 そして 少子化人口減の時代の産業経済

 先日に憧れのえびチリを作りました。
 えびは昨今の物価安においても比較的に高値で安定しており、暮らしの安定しない状況では買うのがややためらわれます。
 地域や店によってはアルゼンチンえびが一尾を百円の氷漬で売られていたりしますが生えびはおしなべて高く、冷凍の小えびの袋も298円ないしは398円が相場。新百合ヶ丘などの私の地元麻生区は例のあれの故もあってか氷漬の鮮魚はほとんどありません。

 そういえば、えびチリて不思議な料理です。
 中華料理ですがチリソースというたれは南アメリカのチリのもの。シナにはチリソースの現地生産はほとんどありません。
 えびは世界中に獲れますが特にアルゼンチンなどの南アメリカが有名。
 何でそれが中華料理なのかを推理すると、どうも昭和時代の世界の共産化との関わりがあるのではないかと。
 中華人民共和国の創立が1949年、その頃に料理人陳建民は日本に渡って帰化し、1950年代にえびチリが彼により確立されました。
 さてその移住と帰化が中国の共産化を日本にも広めるためなのかそれを逃れて自由を求めるためなのかによりえびチリの解釈も違って来ます。因みに彼が没したのは天安門事件の1990年です。

 チリは1973年にクーデターによりアジェンデ共産政府が成立。即ち、えびチリは真赤な料理で、陳はそれを更に日本が世界最大の市場となる勢いのトマトケチャップを加えて更に真赤赤にまとめました。catch-upの好きな日本人はketchupも好き。
 ケチャップの発祥も意外にもシナ。何となく英国やアメリカのものかという感じがしますが中国大好きな英国の商人がシナで拾ったそれを持ち帰って世界に普及させたのがアメリカを経て日本に伝来しました。
 チリクーデターの1973年辺りも本論の要となる重要な時代です。

 イギリスやアメリカがトマトケチャップをようけ買うのはアングロ人は楽をすることを好むからでしょう。色々な野菜の含まれるトマトケチャップは楽をして均衡ある栄養を取ることができ、特にアメリカは軍用食品や宇宙食品の発達に結びついています。
 ケチャップをようけ使うマクドナルドハンバーガーの日本への進出は1971年で、いわゆる団塊ジュニア世代の出生により日本の出生率が頂点になった年です。1971年生まれは今年で50歳です。

 日本の出生率は翌1972年から漸減の傾向になり、今も減少が続いています。
 その転機となった大きな要因は1973年の石油危機です。
 石油危機の直接の原因は中東の産油国等が原油の卸値を政策的に引上げたことですがではそれが何でかについてはほとんど語られてはいません。それが「シェフのきまぐれ」ならぬカリフのきまぐれなのかというとそうではなく、チリクーデターが彼等の大義を助長する大きなワンチャン(a greatest chance)となっています。ソビエトとアフガニスタンの関係にも例を見るように、大アラブ主義と共産主義は深い提携関係にありました。しかし今はやりの事業統合はせず、見掛けはあくまでも無関係の別物と見せて鵜の目鷹の目、魚心あれば水心で自由主義圏の失敗につけこむ用意をしており、それが1973年に華開いた訳です。

 石油危機が日本の従来の経済の高度成長を決定的に終わらせ、低成長の時代に変わる。所得の伸びは鈍り、そのためには新しく生まれ育つ子供も少なくならないとならないという認識或いは思想になって来ました。
 そう考えると、出生減の原因は経済にあるのではないかと思えます。確かにそれもありますが逆に出生は少なくあるべきだという思想が経済を形成する面もあり、経済と思想はたまごが先かひよこが先かというような相互依存の関係があります。
 経済がこうなのはそういう思想だからだとか思想がこうなのは経済がそうだからだというように、経済と思想はその中身が何であれまたは真偽を問わず、互いに正当化し合うものです。
 共産主義が人民の阿片という宗教についていえば、そのような経済と思想の相互正当化、相互依存はユダヤ・キリスト教の原罪の一種です。原罪を語る聖書の天地創造の話はその原因をアダムとエバが園の知恵の木の実を獲って食べたことにあるとしますが、知恵の木の実とはいわば経済であり(それだけではなく違う読み方もできますが、)、彼等を唆したという蛇とはいわば思想です(同左。)。人間を賢くする思想のある生命体である蛇が知恵の木の実という商品化され得る資源を通しても人間が賢くなれるという訳で、それそのものは何の間違いでもありません。しかし彼等はそこで蛇が先か木の実が先か、果ては電車に乗っては前の人が先か後の人が先かなどというほぼほぼ無意味な問いに足を掬われて罪を生み出します。蛇も木の実も神の造り出した存在ですし、そこには先も後もなく一石二鳥で良いのです。

 しかし人間は無意味な問いをやめないので原罪はなくなることはないし、それはそれで否定すべきものでもありません。経済的に無謀なのに子供をもとうというのは子供は少なくていいとかいなくていいと思う原罪よりも場合によっては大きな原罪かも知れません。
 また、経済力に見合う(「身の丈に合う」)思想を持つべきだというのも原罪ですし、経済を度外視する思想もまた原罪です。どちらがより大きな原罪であるかは神も知らず、本人しか知りません。

 経済と思想は互いに正当化し合いながら相互依存をやめることのないものですが、それらを有機的に整合させて統一する(universalize)することはできません。それらは常に渾然と混ざり合って永久に矛盾し続けます。

 少子化と人口減の続くこれからの時代を考えるにも、まずはそこから認識する必要があります。

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