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自民一強の政治と自浄能力について

 考えがまだまとまらないけど、重要なことなのでとりあえず書き始めます。

 安倍政権が7年と憲政史上最長の在任の継続を見、その7年の間に自民党だけが強いいわゆる自民一強ということについて色々といわれています。

 一度は政権交代が実現したが七年前から逆行して自民党の一党支配が再生するのではないかともいわれています。

 そこにいわれていることの中には日本人に顕著といわれる同調圧力が原因だとか自民党以外の党派に力がないからだというものがありますが、今回はそれらの定説を半ば覆すような新しい見方を示します。

 同調圧力説は主にネットの批評に多く、テレビや新聞などの組織媒体ではあまり云われません。そのことを以て報道は自民党政権に「忖度」をしてその悪いことをなるべく云わないようにしているのではないかとの説もあります。

 野党非力説は主にテレビや新聞などの組織媒体の報道に多く、ネットの批評ではそれを焦りながらも否定する声が多い。焦るのは本当にそうなのではないかと思ってしまうような処があるということでしょう。

 しかし日本が世界人類と比べ同調圧力が強くて日本人が同調圧力に弱いということはありません。自分の望まない成行になっている時に自分がそれに抗う力のない場合にはその成行はしばしば同調圧力であるかのように見えますが多くの場合はそのような圧力はありません。尤も、それを知りながらあの手この口で同調圧力が存在するかのように演出して逆らうと痛い目に遭うぞと脅かす人もいますが、彼も圧力そのものを作り出しているのではない。
 故に安倍自民党政権にも同調圧力というものはありません。いわゆるネット右翼系の方々がいわゆるパヨク系の方々を叩くのは多くは、自分が好きで安倍政権を支持しているのにそれを否定して来る人達がいる、自由を奪おうとするな、邪魔をするなという反撃であり、他への同調を求めている訳ではない。逆に支持されるようにするため、目を向けてもらうための考えや提言の形もほぼほぼないので稚拙ですが、稚拙な程に恐いという感じ。

 今時のそのような状況は日本がかつてない程に自由になっていることから来るものでしょう。

 自民党以外に力がないというのは日本の政治資源の多くを官僚が占めることから間違いであると分かります。強いていえば自民党は官僚を囲い込む術に長けているということですが、肝心の知識、情報や物資は官僚が持って動かしているものなので自民党に力があるのではありません。党そのものの構造や体質は他のそれなりの規模のある党等と違いませんし、強いていえば企業団体献金があるためにその分の資金が多いだけ。他党は今の処は全てがそれを否定しているので資金規模が小さくてその面では劣位になるに決まっています。

 なので自民党が他党と違うのは何らかの理由で党のブランド価値が高いということなのですが、そのブランド価値の源泉は何なのでしょうか?

 その理由は意外にも笑、自浄能力と思われます。

 尤も、人間には皆自浄能力がある筈です。自浄能力とは自らの悪弊を自らの意思により改める力のことです。

 しかし自浄能力は現実に悪弊がないと測ることができません。悪弊がなくてもより良く改善することが最も望ましいのですが、そのような自浄能力の発揮のされ方はなかなか評価の対象にはならず、自浄能力があるという見方をされません。良いことが当たり前になると評価をする者は:①それをなるべく利用することだけを考えるようになる。;②減点や失望の対象になることしか見えなくなる。:のどちらかになるものだからです。
 例えば民主党はそれらのいずれにも当て嵌まり、良い状態が当たり前になっているので好評価をされにくいのです。民主党を承継する国民民主党も、優良な体質で上手くいっている人達は世界が違うし気に入らないということで共感されにくいのです。

 それより、自分達がいかに悪いかを隠さず、それを必要に迫られてでも改めて良い結果を目指すことが共感と評価の対象になります。「自分達がいかに悪いか」というのはかつての極左的自己批判の風習の影響もあるでしょう。また、目指すだけで良いと見做されるので実際に良い結果が出るかどうかは二の次、列島改造のように出る場合もアベノミクスのように出ない場合もあります。いずれにせよ、いい夢をみさせてくれることが肝心なのです。いい夢だから、否定されると気に喰わない。

 発揮されたことのない自浄能力はあると見做されはしないので、自民党以外は評価の対象外になってしまうのです。

 或る意味では日本はさように失敗に寛大です。

 ――と、いわゆる上から目線の見方になりましたが、下から目線でも自民党の自浄能力を評価してみます。

 日本人は元々歴史的には自浄能力のない国民であると自国民に思われていたようです。戦乱と外圧がないと変われないというもので、平和なら腐敗する一方。そんな歴史観から「平和呆け」という語も造られたりしています。
 本当の姿についてはさておき、日本人は自分達は戦乱や外圧がないと変わらないだろうと思っていることは確かなよう。

 そんな自国像が珍しく変わったのは田中角栄政権の時代のロッキード事件をめぐる動きです、昭和50年頃の出来事。

 そこに自民党政権は未曽有の政治腐敗を露呈しましたが、多少の行き過ぎはあっただろうにせよ、田中政権は事件の追及を受けて辞職に追い込まれ、そこでまずは政治倫理の粛正を求める三木政権に代り、続いて福田政権、大平政権や鈴木政権という清潔な政権の時代が五年ほど続きました。福田赳夫総理は人間的に不潔ですがその閣僚には石井一という高潔な傑物がいたりして結果としてはそこそこ良い政治。そこで回復した自民党の体質を受け継ぎながら中曽根政権による行政改革。

 私はその時代に生まれたので、日本が高い自浄能力を発揮する空気を浴びながら育った自浄能力の高い世代だといえるかもしれません。

 物心のつかない私さえその時代の空気の記憶があるほどなので、当時に大人になっていた人々にとっては尚更に強い記憶があります。昭和50年(1975年)に20歳の人が今年2020年に65歳になります。

 自民党は変われる政党だ。――多かれ少なかれそう実感していた人々がリクルート事件を経、その二十五年後に構造改革の小泉政権を支持。

 しばしば自民党は経済に強いから強いとか安全保障をしっかりするから強いといわれますが、政策については今はあまり関係ない。経済は政策より民間の自律的活力があってなんぼということに今の多くの国民は気づいていますし、安全保障の大枠はどの党が政権を取っても変わらないので、政策は党のブランド価値や得票、支持率を左右するものではあまりありません。

 政策よりキャラ(性格)が重要なことは’00年代のイタリアのベルルスコーニ政権や'10年代のフランスのマクロン政権、そして誤解を懼れずいえばアメリカのオバマ政権を見るにも明らか。

 今の日本が7年に亘り続く安倍政権なのも、支持する人々が口では白を切るように否定しても本心では自分達の悪さを率直に認めて渋々でも改めようとする自浄能力に期待しているからなのでしょう。確かに安倍政権を支持しない側から見ても、倒されないと改まらないという形は無意識に受け入れ難いのです。尤も、政権交代を必ずしも倒し倒されるという図式に考える――まさに戦乱と外圧こそが国を変えるという発想。――からそう感じてしまう訳で、野党としての役割や国家への責任というものが確立されることが望ましいです。

 政権交代というものをかように殺し殺されるものという感じに捉えるのは日本史の見方の他に、漫画やゲームの影響もあるかと思われます。漫画やゲームは幾らでも人を殺せますし。なので、野党こそ人権の観念がないなどといわれたりもしています。

 ロッキード事件の時代を知らない三十代以下の人々にとってはリクルート事件の政治腐敗を改めて構造改革を行った小泉政権が自民党の評価の原点です。

 しばしば小泉政権は「B層」に支持されたなどといって今は馬鹿にされていますが、時まさしくリクルート事件の時代を背景にして初めから順風満帆に支持を伸ばしてブランド価値を高めた民主党と比べ、当時の自民党はしょうもない状態から支持とブランド価値を回復した。そもそもしょうもない状態に陥ることも重要な問題なのですが、失敗したことのない民主党よりも失敗を取り戻した自民党が共感されるということでは小泉政権は決して侮れない、好評価をするのではなくても分析と学習の題材として重要な意味のあるものでしょう。

 然るに、薬物中毒からの回復と更生という事柄も、非自民のリベラル派の方々がどんなに声を大にして訴えたり活動したりしていても、恐らく自民党的なるものの文脈に収斂されてゆくのです。その感動物語は自民党の票と支持率に化ける。私などのように麻薬など論外で医薬品さえほとんど服用しない健全な体質の人々にとってはそこがなかなか気づきにくい点です。 

 その内に女子の人権やLGBTのことなどについても悉く自民党の手柄になってゆくかもしれません。もはや「保守対リベラル」という対立軸ではないのです。

 「私、失敗しないので。」の今の野党がどう評価されて支持されるようになるか、なるべく失敗しないで考える必要があるでしょう。 

  

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