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「割とタイミング良くてやばい、」:日本の真の流行語と、「食の時代」の終(はて)に改めて考える日本料理の割とやばい情況。
毎年新米の出るこの時季になると、「人は米のみにより生きるのではない。パンを食った頭によっても生きる。」とばかりのノーベル賞と「人はパンで生きるのではない。米を食った流行語により生きる。」とばかりの新語・流行語大賞がしゃしゃり出てきます。しゃりのしゃしゃり具合は割とnever changed(🟡ワンパターン)だったりします。
別に米でもパンでも安全で余程に不味くなければ何でも良いのですが、安倍総理とオバマ大統領のスシローデートが一際に熱い話題になるなどしたこれまでの二十年(🟢a couple of decades)、2001〜2020年は食の時代でした。
日本も世界も同時進行で、二十年毎に「衣の時代」、「食の時代」と「住の時代」を繰り返しています。
只今2022〜’23年は既に食の時代が終わり住の時代になっています。何を食べようかと思い悩むことよりも何処に住もうかと思い悩む時代です。
私は食の時代の最後の年2020年にここ川崎市麻生区の公社団地に移り住み、若干の危機もありながら過去最高度の安定の生活になっています。これで過去最高なのでそれまでの45年は推しても知り難い不安定な生活でした。
川崎市麻生区は隣の横浜市青葉区と並び今や日本最長寿、平均寿命が全国1位と2位になっており、また神奈川県の全般が癌などの成人病による死亡率が全国一低いことも併せると健康寿命も日本一、更には世界一をも窺う地域です。
東京の近くなのでそれでもリュックサックを前に掛けるような馬鹿な人々もちらほらといますが首都圏の全般では割とそれも少なく変なストレスのない地域です。
「衣の時代」、「食の時代」と「住の時代」とはあくまでも時代の関心事の傾向なので、それらを過ぎても他には関心を持たないということではありません。
寧ろ、食の時代が終わっている今こそが食べることについてもう一度(人によっては逆に初めて、)まともに考えられる好機(🔴タイミング)です。
住むだけ住みながら何も食べない訳にもゆきませんしね。
パンそのものが言葉と体そのものだというキリスト教の聖体の奥義を引合いに出すまでもなく、同じ口を通すものである故か、食べ物、言葉と体には不即不離に不可分の関係があります。
この二十年の食の時代には、テレビの芸能人やらアナウンサーやら政治家やらが口に食べ物を入れたまま喋るという徳仁が浩宮と呼ばれていた頃には到底あり得なかった不作法が常日頃に平気で行われていました。デジタルだからブラウン管を通してはいないとか云うのかどうかは分かりませんが、或る意味ではそれはパンそのものが言葉と体であるということですね。
で、今年の新語・流行語大賞に推薦されている語が「国葬儀」なのですって。
いや、現実に声として「国葬儀」なんて語を耳にしたことは一度もありません。
周りの皆「国葬」と言っていました。
それ、「みそ汁ではありません、みそスープです。」みたいなものではないでしょうか?
しかし現実に声として「みそスープ」なんて語を耳にしたことは一度もありませんよね。
あるというなら、その耳に経文を書きますよ。
勿論、みそ汁はsoupであります。
しかしsoupをスープと呼べばそれは合法になるのか、延いては我が国が旧敵国ではなくなるのかといえばそうではありません。
彼の時代に一際話題になった「和食」というものはそういうことを見えなくさせてしまいました。ユネスコに謝って返上しても良い程です。「旧敵国が食べ物如きでしゃしゃり出て申し訳ありませんでした。しかし、徳仁と雅子は宜しくお願い致します。」と、ほんに。
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