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理想の指導者は:勝てば叱り、負ければ共に考える指導者。

高木守道監督の逝去と中日ドラゴンズ

 中日ドラゴンズの高木守道監督が亡くなり、山本昌元投手がその弔いに高木監督は勝てば共に喜び、負けても叱らない素晴らしい指導者だったとツイートに記しています。

 なるほど、勝てば喜び、負ければ叱る指導者よりはよほどに良いでしょう。その勝てば喜ぶというのも共に喜ぶのではなく独りで喜ぶのなら最悪です。

 しかし理想の指導者は勝てば叱り、負ければどうすれば勝てるかを共に考える指導者です。

 いずれにせよ負けても叱らないことは同じ、しかし喜怒哀楽の喜びと哀しみだけではなく、喜怒哀楽であるべきです。最悪の指導者は喜怒だけで成り立っています。

 喜怒哀楽考、しかし、喜びは最後までなるべく表に表さず、なるべくいつも楽しむ。

 ――何でかというと、負ける原因は勝ちの中にこそ潜むからです。

 負ける人はいつかどこかで勝ったことがあります。全ての人は勝ったことがあります。なので全ての人は必ず負けます。

 負け続ける人は勝ったら勝ち放しで、そこに負ける原因があると考えたことがありません。下々がそのような人達ばかりの集団に高木監督のような指導者が就いたら伸びません。高木監督の下のドラゴンズがそれでそれなりに好成績だったのは選手達が優良だからです。星野仙一が選手や監督としていたりして勝つことへの執念が根づいています。

 因みに星野仙一監督は喜怒哀楽考ということについてはよく分かりませんが笑、野球そのものに人十倍熱心で野球を商売としての面をも含め知り尽くしている指導者です。仮に指導者としてあまり良くない型でも造詣の深い人なら、それもまた優良な下々が自分達で何とかするものです。

二度栄えた西武ライオンズ、あり得なくはない。

 中日ドラゴンズはその意味では理想的集団であるといえます。指導者の資質に左右されずに強い。

 星野監督が高木監督に代わった頃の最も強い球団は西武ライオンズでした。昨年令和元年は辻発彦監督の下でパリーグの2連覇をしましたが、平成初期の当時は森祇晶監督。

 森監督もさることながら、今の辻監督もまた、勝てば叱り、負ければ共に考える指導者ではないでしょうか。

 野球についての考え方はかなり違うようですがその点は同じ。

 野球についての考え方とは要はどう勝つかということ。

 つまり、結果だけではなく勝ち方が大切で、勝ち方が悪いと思しい戦いがしばしばあるのです。それは野村克也監督なども「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。」と云う通りです。

 勝つとは相手方より一点でも上回ることであり、いかにしてそれを実現するかの過程は違えど、その点も森監督と辻監督は同じです。

 そうであるならば、勝って喜んでいる場合ではありません。勝った時こそ反省すべきなのです。

 昨今の企業にはやっている結果主義は集団を強くしないことが分かるかと思います。

トヨタの「人を育てない経営」?

 「勝って兜の緒を締めよ。」という諺がありますが、それでは不十分、というか、二流につけるせめてもの薬という感じです。勝ったら勝ち放しで勝った反省をしないなら、兜の緒を締めて身を引締めることが最低限の心得になります。

 張富士夫社長が渡辺捷昭社長に代わった2005年にトヨタ自動車はそれをやってしまいました。業績が史上最高となる中、渡辺社長は「驕らないように、兜の緒を締めましょう。」と訓示。

 その訓示はまずトヨタの人達を二流扱いしたという点で拙いです。勿論どの企業とも同じくトヨタにも二流の人は結構います。しかし二流向けの訓示をしたことで二流はいつまでも二流の心構と発想をしかしないように方向づけられてしまいました。また、一流の人にとっては二流扱いされて面白くありません。その影響は直ぐには表れませんでしたが、数年経ち、十年経ち、トヨタの車は目に見えてつまらないものになって来ています。

 改善(トヨタ語は「カイゼン」、以下「カイゼン」と記す。)を知らない人に改善を説くと、負ければ叱る、即ち負けた原因を考えるばかりで勝った反省をしません。カイゼンとは悪い状況を良く改めることなので、悪い状況にまず目がゆきます。

 しかし悪い状況が生じるのは良いし方を知らないからな訳で、まずは良いし方を学び覚えないことには何も始まりません。それをどう続けるか、出て来にくい時にはどうするべきか、それを考えるのが勝ち方でありカイゼンです。

 負ければ反省するという二流的カイゼン術はその至って当たり前の道理をいつまでも実行しないことになりかねません。

 この二十年程にトヨタ生産方式が注目されてそれを取り入れようとする企業が増えていますが、そこがすっぽりと抜け落ちている例も多いそうです。

 また、人間は負けた原因を問うと自己正当化をし易くなります。

 真面目に反省しているようだが、言動の端々にどこか自己正当化が匂う。本当の原因やそもそも状況そのものを見ずに精神論に昇華されたりする。

 勝った時にはそれが悪い勝ち方であれ勝ったという不動の事実に基づく安心感があるので自己正当化をしようとすることはあまりありません。その安心感を単なる安心に終わらせずに有効利用をする。

 なかなか勝てないからそんなこともできないというかもしれませんが、全ての人がいつもどこかで勝っています。無数の小さな勝利をだらだらと無駄にすると自分は何で勝てないのだろうとぼやきながら生きることになります。ただ喜ぶだけだったり、「その位は当たり前ですよ。」と思っていないのに言うことばかりを考えたりしている。

 ・まず知識や道具がない。

 ・隠然たる自己正当化の習慣

 個人であれ集団であれ、まずその二点が揃うと悪循環が出来上がります。昨今の日本の貧困や格差の問題も要はその二点です。

 星野監督も高木監督もドラゴンズを最強の集団にすることまでは叶いませんでしたが――そもそも最強の集団なんてあるのかという問いはさておき。――その二点はない。

 隠然たる自己正当化というのは逆に「言い訳をしてはならない。」という誤った心得からも来るものです。そこにしてはならないという言い訳とは言葉として明示的に行われる自己正当化のことですが、それを禁ずることにより暗黙の言い訳が横行するようになりかねません。決して言い訳をしないように見えるけれど、言い訳が顔や背中に書いてあるという。

 そのような誤った、多くは道徳的趣の心得をモチベーションアップなどと称しコンサルティングなどを通して企業に啓発することはその企業を潰そうとしている訳ではないのでしょうが、先述の渡辺社長が不意にしてしまったような、その企業をいつまでも二流に留めておくことにより一方的に支配される側に置くという意図があるでしょう。一種の分断統治の情報戦略ですが、その結果として潰れても代りになる企業はあるのでどうでもよいという感じ。

 その種の啓発は守っても悪いですが、同時に、建前論は無視するという習慣を身に着けさせることでもあり、一粒で二度有害です。まだ実現していないことは全て建前なので、何も実現しない風土になってしまいます。

企業は野球か?

 企業は他所との比較があまり意味をなさず、自社が儲かれば全て良しという面があります。それは間違いな見方ではありません。故に野球などとの勝負事には単純に擬えられないこともあります。

 勝つ企業や負ける企業と言って、誰に勝つということなのかや誰に負けるということなのかがよく分からない。対戦相手のいない世界です。

 特に経済成長率が高くて景気の良い時代は負ける企業がほぼありません。すると負ければ叱るとか負けても叱らないという以前に、負けたことがないという認識になります。その認識は数字としては事実です。なので負けたらどうするべきかということについては考えたことのない人が労使共に少なくないでしょう。とりあえず想い浮かぶのは未曽有(みぞうゆう)の事態に只天を仰いでぼやくだけという感じでしょうか。

 ぼやくことは濃度の薄い叱責であり、それも負ければ叱るという分類になるかと思われます。ただ、偶々負けることがないのでいかにも叱らない人であるかのように見える。業績が良いので叱った実績がないだけのこと。すると、最悪の指導者が一見は高木監督のようなかなり良い指導者であるかのように見えることがある。

 経済成長率が下がって景気があまり良くならなくなり、経済と生活をめぐる不安が増している今の時代には、勝てば喜び、負ければ叱るという最悪のあり方がごく当たり前のようになりかねない時代です。勝つことがないので勝てば叱るなんていう上等なことはできないよという。しかし勝つことを待つのではなく、そんな貧しい時代にも何かいつも勝っているし、そもそも勝てない、負けている本当の原因を知っているのだろうかと認識すべきでしょう。

 勝ち方を考えることから始まるのです。

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