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「契約社会」て何?:その2:人間の「約束」と政治の「公約」

 尤も、利便の点に関し良い面もありますが、鉄道における相互乗入による直通というのは契約や法理の面においてかなり難しいものがあります。
 先の『その1』に解説した合意(本来はそれが「契約」。)と締結(本来は契約ではないが現代日本においてはそれが契約と呼ばれる。)につき考えると、相互乗入というものは民事的にはなかなか難しい事柄です。
 複数の鉄道業者等が互いに乗入を行うということは先に解説した通り、対等で平等な者の間になされる合意として解せますが、そこには債権債務が生じる訳で、債権債務は合意という枠組みにおいて成り立たない訳ではないけれど、合意というものが出入自由なものである以上は互いに所定の残債の履行を求めることはできても賠償は合意の枠内に関してはできないということになります。合意の枠内ではないこととは例えば事故や運賃の精算の不履行などの一般的事柄に関してで、相互乗入の便益に直接に関わる事柄については互いが不利益の可能性を甘受することを合意した以上は認められないということになる。例えば列車の遅延はたとえそれが常習的であっても賠償の事由にはならないということになります。
 そういう法理を厳密に煎じ詰めないと相互乗入はできない訳ですが、現にいかがなものなのでしょう?

 こういうのが乗入れて来るとどん引きますよね。
 実際に、これにはそれが掲示されていません。

 この車輌は本当に素晴らしく、私はこれを「走るプレミアム文房具」といいます。製造元は日立製作所です。
 東武鉄道にはこの車輌の他にもう一つ東武には珍しく感心するところがあり、それは客にリュックサックを体の前に掛けることを求めないことです。

 東武は車内広告などでリュックサックを「手に持つか荷棚に置く」ことを求めています。私は初めから後ろに背負うか手に持つかなので、その車内広告を見た時は東武にも良識はあるなと感心しました。その点だけはずば抜けて良い。
 そもそもリュックサックを使わない人から見れば一目瞭然という感じですが、近年によく見受けられる、リュックサックを前に背負うというか胸負うというか腹負うというかな人々、東武以外の鉄道業者等が云うのでしているらしいですが普通に見苦しいし却って迷惑。特に乗場の狭い所に彼が通ると前に突き出たリュックサックが道を塞ぎます。
 せっかくなので、東武と乗入れる東急も同じようにリュックサックの前掛けを禁止してほしいと思います、東急がそうすれば日本中が真似しますし。
 というか、元々東武以外の鉄道業者等が求めていたのもリュックサックを「前に抱える」ことであり「前に掛ける」ことではありません。
 それがいつの間にか前に掛ける人が増えて来ているのは鉄道業者等の意向ではなく、マスコミとか何者かがやたら時間の長いワイドショーか何かを通し、それを拡大解釈をして「前に掛けると良い。」と勝手なことを吹聴したら信じる人が多くいたということでしょう。
 自分はマナーを守っているぞ、ちゃんとやっているぞと思うかもしれませんがみんなが軽蔑したり迷惑したりしていますよ、やめて下さいね。

 作法(マナー)というものは本に書かれることはあっても合意書や締結書(いわゆる契約書)として発行されるものではないので、どちらかといえば不文律に近いものです。作法の本はそれらの不文律を任意に本に書きたいと思う人の書くものです。
 守らないと懲罰や賠償を求められたりするものではない。しかし懲罰や賠償の伴う締結にも自由な提案や交渉により定められる合意にも、不文律である作法というものが大切な下支えになります。また、誰と何を取り交わすことのない自分独りのことにも作法は必要です。なので、厳密にいうと人間にはどうしようと自分の勝手ということは一刻もあり得ません。そのような意味においては、自由主義というものは存在し得ないといえます。
 ところが、日本を代表する一流大学の高名な教授にも自由とは個人の勝手ということだ、それを尊重することだなどというちゃんちゃらな学説をツイッターや日本を代表する報道番組をまでも使い吹聴する人がいます。

 まさか、トランプ政権を非難した方々はそんな日本の一流大学の教授の云うことなど「聞いてないよー!…。」ですよね?

 トランプ政権の代表者ドナルドトランプ大統領は元は不動産事業を主にするトランプ財閥の当主でした。
 不動産事業は先の記事にも解説した締結、contractにより成り立つものです。
 土地や建物の売買や貸借はそれらの所有者や管理者が主体となり買受人や借受人を客体として従属させるものであり、対等平等の関係に基づくものではありません。故に土地や建物を買いたい者や借りたい者は予め誰から買うかや借りるかを自由に検討して選択した末に売主や貸主に従属することを締結しなくてはなりません。
 ということは、トランプさんはそもそも人々を従属させたいという志向の強い人だということです。
 そのような志向の人は対等平等な提案や交渉による合意を大切にしようという方々には好まれません。しかし彼らもサンフランシスコの月額賃料百万円とかニューヨークの二百万円とかいう賃貸住宅に住むことを好むので、トランプ的なるものを原理的に否定することはできず、あくまでも感情に過ぎない非難な訳です。月額賃料が百万円とかいう物件は日本には東京にも稀ですがアメリカの大都市には普通にごろごろと転がっています。
 因みに私は平均寿命が日本一で首都圏で随一の人気で自民党の弱い地域の優良な高層賃貸住宅に月額賃料五万円で住んでいます。一昔前は自民党の強いというか今の総理の地元の地域の若干心許ない低層賃貸住宅に月額賃料五万円で住んでいました。

 トランプさんはよほどに従属することが嫌いで従属させたい人なのでしょう。そういう志向の人がアメリカが世界の警察たることをやめるべきだというのもまさに「契約」という観点からすればなるほどなことなのです。大雑把にいうと、自分が他者を従属させることのできる立場になるためにはなるべく世界を狭くすることだからです。大昔の人間はそれを分からなかったので従属させる立場になるためには世界を拡げればよいと思っていたようですがそうではありません。故に人類史的に見るとトランプさんはかなり進化している人だということになります。

 トランプさんは大統領に当選した2016年を遡ること16年、2000年の大統領選挙に立候補していましたがその時は対立候補のブキャナン氏に彼はアメリカを分断させるが自分はそんなことはしない、アメリカ人は皆平等だと主張していたそう。しかし、大統領になるとトランプさんがアメリカを分断させて差別を助長するといわれています。
 別に私は反トランプではありませんが、同じトランプさんが分断させないと云ったり分断させたりというのは逆のようで同じことで、要は一致させるも分断させるも自分の力によるものだという。かつての日本が人種差別を許さないといって世界に背を向けたのもトランプさんと中身は同じではないが原理は同じこと。

 よく、選挙の公約を政治家(候補者)と国民(有権者)の約束だという人がいます。だから政治家は国民との「約束」を守れという。
 そういう人は随分と約束というものを軽々しくしているだろうなと思います。
 逆に常日頃の約束が選挙の公約のようなものなら、社会は成り立ちません。
 要はそういうよく分からない人達、何かというと約束だ、約束だ、言ったことは守れ、信念を持てという方々が日本の政治シーンをを占有しているので日本には政権交代があまりにも少ないのではないでしょうか。
 守れた約束は喧伝するがその陰に守れなかっただけではなく初めからないことにしている約束が山積していて、自分はほとんど全ての約束を守れている、約束を守ることが信念だと意気がっている。それが政治家と政治に関心を持つ人々の典型像だと思われているので政治が信用されない。

 しかし公約の英語’promise’は約束のことではありません。少なくとも公約は「約」を「束ね」はしません。「約」を支持するもしないも有権者の自由な選択ですし、もし公約が約束なら、全ての国民は政治家の示す公約に束ねられて従わなくてはならないことになるので選挙も要らないことになります。
 国民は政治に何かをしてほしいと思います。しかしそれをいつやはりしなくていいと思うかどうか分からない。逆にしてほしいと思ってはいなかったことをいつしてほしいと思うかもまた分からない。
 そうであれば、選挙という一時に示す公約というものをそれが約束だといって守らないと許さないとか公約にないことをするとはいかがなものかなどとはいえないでしょう。
 公約、promiseとは約束、appointmentではなく、望みをおくということです。
 政治家は国民に望みをおき、国民は政治に望みをおく。
 守る守らない、言った言わないというようなことに束ねられて縛られるものではなく、国とそこに生きる個人や諸社会が安全で豊かになることに望みをおくための祭典が選挙であり公約とはその祭のマニフェスト(気炎)です。そういうことでこの二十年に選挙の公約はマニフェストと呼ばれるようになった訳ですがそれがマニフェストを聞かせる側にも聞く側にもあまり理解されず、国民の皆さんが聞く耳を持って下さらなかったようで、マニフェストを破るとは何事だとかそんなことはマニフェストには書いてないぞとか意味不な非難が殺到した。

 公約とは約束だというような謎観念の発祥は多分に戦中の大政翼賛会政権からのものと思われ、それが戦後をとうに過ぎている今も日本の政治の通奏高音であり続けている。戦争を遂行するための独裁体制なら確かに政治は国民にアポを取って約束をして守るものだということになる訳で、日本は今もどこかと戦争をしている国なのですね。

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