肉体と意識の簡単な綻び学

 さて諸君には再三話してきた事であるが、やはり肉体には若干の解れがあるというものである。なかなかに興味深いとある業界からは目をつけられ、追いかけ回される日々を過ごしているのだが、彼等には到底理解に至る代物では無いため相手にするのにはまだ早いと断りの文を送るのである。
 そんなことはどうでもよろしい。さて肉体の解れ、と聞いた諸君は何を想像するかと言うとまず一つに筋肉を構成する一本一本の筋であろう。一の字の羅列から思い出させるようにこちらは筋原繊維蛋白質という物質からなる組織である。これを仮に甲とし、私たち人間の意識の範疇を乙とするとき、研究甲斐のある論点を生み出してくれる。その論点は「ー」後々言うことにしよう。先に発表してからこの文を読むのと、後から知るのでは多分に差が出よう。
 さあ、諸君らの意識の話をしよう。意識とは何ぞと街の老人に話し掛けられた私と、私のような奇怪な人間に話し掛けられた諸君は同等の立場にいると思われるのであるからして、この質問をそのまま諸君に投げかける。そうすると何と返ってくるのか。精神がどうとか、脳髄がどうとか、そんなような所が関の山であろう。はきりと申せば、そんなことを聞いているのではない。精神病理学ではあるまい。唯物科学に冒された現代の世の中で何を言うかと笑われればよかろうと私に心の中で愚弄されることとなる。さてそうした時、諸君はなんと言うのか。それが意識なのである。ポリエチレンテレフタラートと揶揄されるそのものがその正体なのであり、その事実に気づいたものからこの唯物思想な世の中を渡り歩く術を体得するのである。
 諸君らの頭の中を埋めつくし始めたであろう疑問符の郡は圧巻であろう。右も左もクエスチオンのマークで首も回らぬ事態となり、三半規管はとうに役目を果たしたかの如く床に寝そべっている。
 以上この事から分かるように論点の解決をしていくわけである。さて論点とやらを持ち出そうとすれば、言語化するものでもあるまい。「甲乙つけ難し」この意味についてもう少し考察を巡らせてみては如何だろうか。

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