菖蒲のつみれ汁 6

 灰汁色の体液を啜った。何も潤うことはなかったが、確かな戸惑いと少しばかりの愛おしさを感じることが出来た。残りを七面鳥の革で誂えた袋にいかにも大事そうに移し替えて御心に携えた。
 巷ではつみれ汁という吸い物が流行っているらしく是非一度味の程を嗜みたいと願うばかりであったが、それも何時しか執拗なまでとなり、今に至るのである。
 韮崎に住む叔母の話によれば、これがまた人の心を無情にも奪ってゆくものなのだと、頬を膨らませた私にはどうにも戯言のように思われると同時に一粒僅かばかりの高鳴りを覚えたのだった。特段珍しいものではなくなった灰汁色の鍋の中は小慣れ笑うようにくつくつと煮えているのであり、とろりとした舌触りにするりとした喉越し、鼻抜けに牡丹を思わせる膨らみとアルミニウムのような鋭さを蓄え、終いには母の手料理の顔まで持ち合わせているもので、なんとも言えない蟠りを心に残したまま六月と半日が経ってしまっていた。
 ありありと半年前の様が瞼の裏に映し出されるように明日も味の感想やら香りやらを息子が余らせた原稿用紙に綴っている事だらう。

 殊更当然のように時間は流れていき、私の顔にも少しばかり皺が増え、骨皮だけに思えるか細い脚には紫色の網が張り、肝心の骨こそ蒲公英の茎のように細く脆くなっているのを我が身ながらに感じていた。
 ある日私の手元には何粒かの花の種が入った紙袋があった。振ればスカスカと音こそ鳴らすが、内情火鉢で炙り塩で食べてしまおうかと思っていたところであった。私の奥は今年で四十二となるが、三丁目の路地の井戸端会議では翌年で米寿だと噂が流れる始末で、その皺のよった口を横へ上へと釣り上げては満面と笑みを浮かべていた。奥が言うには
「あんだぁみでぇなもんはなぁ、だねいっでぐらうより、うめたほぉがよぉのためになるってもんよぉ」とひどい訛りでまたくしゃりと笑うのであった。確かに何の種かも知らずに食べてしまっては明神冥利に尽きるというもので、幾ばかりか私も案じている事であった。夏になるというのにびたびたと身体にまとわりつくような湿気は種こそふやかさなかったが、私の毛根を覆い尽くして呼吸もできないほど濃厚な匂いを漂わせていた。

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