選択、道。


ここが一番、物事を客観視して自分じゃない状態で物事を語れる場所。好かれたい自分だけでなく、素の自分を出しつつ、誰かに見られるって思いながら冷静に綴れるこの場所は素敵だと改めて感じます。

健常者とですら理解し合えないのにうつのことを知らぬまま寄り添ってきた人と、うつ病の人って一生まじ合うことは無いんですよね。

前々からこの場にも書き込んできてはいましたが、そのすれ違いが溝となり、普段なら仲良く一緒にいられていた関係性が限界感じて喧嘩多発、そのまま相手のことが嫌いになってしまうなんてこの病気で生きてるとよくあることなのかもしれません。

でも、当たり前のように病気持ちの方がいくら嫌だって伝えても、相手は待ってくれないんですよね。喧嘩の度にお互いの体力はすり減るし、勿論自分自身も同じくらいしんどいのに引き金も原因も自分だから文句言えないし、我慢するしかないんですよ。






自分自身分からなくなる時があるんです。本当の私がどれなのか。うつ状態の時の私はなにかに囚われているようで。どれだけ正常な私が語り掛けても戻ってこないんです。まるで天使と悪魔の掛け合いのような状態が脳内で繰り広げられてる訳ですよ。

私の中では本当に頑張っているんです。始めは1日に2度ほど起こっていた発作も、出なくなる日が出てきたり、出たとしても時間を短くして。何かしながら話聞かれてても耐えれるようになったし、隣に来てくれなくても耐えれるようになった。泣かない、は出来ないけど。叫ばない、くっつかない、全部少しづつだけどクリア出来るようになってきました。

でも、病気だから当たり前のようにゼロには出来なくて。普通に考えてよくある身体に負担が出る病気と違って、一人一人症状も定まらず、薬も効くか効かなかいか定かでは無い病気を自分の力だけでここまで変えるのって同じ状態の人にはわかるとは思うんですけど凄い難しいことなんです。

だけど、自分が頑張るって提示したからにはと思って、この短期間で自分なりに凄く努力して頑張ってきたんです。でも、迷惑かけてないか否かの究極の二択を突きつけられると言い返す余地はないんですよね。ゼロにはできないんで。

ゼロに出来たらそんなのプロじゃないですか。感情を自分でコントロール出来てるんですよ。それはもうほぼ完治じゃないですか。でも、私たちは医者じゃないしプロじゃないから自分でコントロールができない。だからこそ病気なんです。







自分では少しづつ変わってるつもりだからこそ、正直今の自分には何だってできる気がするんです。もっとコントロールできるんだろうなとか、もっと動けるんだろうなとか、もっと負担減らせるんだろうなとか。まぁこれが恐らく俗に言う躁の部分なのであって。でも、真剣に話してる時は気付いてないんですね。こう客観的に言葉にして書き出すとあ、躁の部分ジャーンって目に見えてわかるんですけど。

病気の私を嫌いになられるのは仕方ないことだと思うんです。これが原因で離れていかれるのも、辛いし不甲斐ないけど仕方ないと思うんです。でも、これがきっかけで嫌いになった時に素の月姫も忘れて嫌いにはならないで欲しいんです。

我儘かもしれないし、エゴだとも思うけど、私は私として無くならずに存在はしてるんです。病気が乗っ取らないようにここだよって芽を出してアピールしてるんです。ただ病気が強すぎて関わる相手にはもう病気の姿しか見えないんですね。そしていずれ私を忘れていく。

そのまま嫌いになって終わり。ってこの世の中でトップに入るバッドエンドを迎えちゃうわけです。本音を言うなら別物として扱って欲しいけれど、病気をそこまで知らない人から見たら全て同じに見えて当然で。勿論一緒くたにされて当たり前なんです。




この病気と向き合うにあたって、理解を得ることって本当に難しいんです。絶対にどちらかが我慢しなければいけない問題だから。そして病気を抱えてない方も必然的に頑張らないといけなくなるから。

そして、悲しいのがもうひとつ。ここで離れた時、告げた方も告げられた方も相手の事が信じてあげられなくて、嫌だと思う状態で離れなきゃいけないこと。告げる方はもちろんのこと、告げられた側もそれを耐えられるほどは好きではなかったんだって悲しい気持ちになりながら聞かなくちゃいけないんです。






普通にいる時はいつ起こるか分からない不安は普段から残りつつも、今でも一番幸せで楽しい時間なんです。私にとって。過去、過ごしてきた時間も紛れもなく幸せだったから今ここまで一緒にいるんです。

だけど、病気が来た時に自分もしんどいし、相手にはそれ以上にしんどさを与えて迷惑をかけてしまうんです。そして、好きでいてくれてて期待して信じてくれてたからこそ損失を与えてしまう。それで嫌な言葉をかけさせてしまう。言わせてしまう。

辛いけど、そんな悪循環から逃れられないんです。でも、かと言って今できることって物理的に何かを排除して、その状態にならないようにしたり、できる一つ一つの感情のコントロールをするとか、そんな小さなことばかりなんです。

じゃあゼロにできます。とか嘘でも言えないんです。嘘で言ってまた相手を傷つけることなんか目に見えてるし、相手に裏切られたって感情を生み出すことも目に見えてるから。







出来ることなんて具体的に提示できなければ、私から離れていかれるに決まってるのに。だからまた、出来るって言いたいのにいえなくてむしゃくしゃして。できるって伝えたら、それは有り得ないことだって振り切られるんです。信じられないって切り捨てられるんです。

私は離れたくないのに。でもお願いする側には選ぶ権利なんてないし、飲むことしか出来ないのかってむしゃくしゃするんです。一緒にいる方法って他に思いつかないんですよね。

好きだったことは事実なのに。一緒にいて楽しかった時間は事実なのに。ここまで待ってくれたこと、一緒にいてくれたことに感謝しつつもあと少しもう少し一緒にいたいって頑張りたいって願ってしまうんです。

私だけがそう思ってた訳では無いと思うんです。だからこそ今、こんな言葉しか吐かせられない自分が嫌だし、嫌いです。動かなければいけないって頑張っても空回りするし、頑張りきれない私だけれど、これからも見守ってて欲しいんです。

私が変わらなきゃ行けない目先の目標は君の為だけだったから。変わる為の目標であって欲しいんです。まだまだ負担はゼロにはできないけれど、着実に減らすことは出来る。病院にまた行ってより向き合う深く。

その様子を誰よりも近くで見守ってて欲しいんです。支えきれなくていい、頑張らなくていい。ただ隣で見守って欲しいんです。





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