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【348日目】:尼子氏か毛利氏か

ご隠居からのメール:【尼子氏か毛利氏】

我が家にはご先祖さまが尼子の落人という言い伝えがあった。尼子というのは戦国時代に滅亡した戦国大名である。戦国大名としては滅亡したが、ご先祖さまは、落人として生き延び、そのDNAはわれわれ一族に受け継がれているというのだ。

ところが、調べてみると、実は尼子の落人ではなく、毛利の牢人だったのではないかという疑いが出てきた。毛利氏は尼子氏を滅ぼして中国地方の覇者となったが、天下分け目の関ケ原の戦で徳川氏に敗れて、領地の大幅削減の憂き目に逢い、家臣の大量リストラを断行せざるをえなくなった。そのとき、牢人になり、へき地の寒村で帰農したのがご先祖さまではないかと考えられないこともない。

尼子氏か毛利氏か。いずれにしても、知らぬが仏である。毛利の牢人、小早川の牢人、あるいは福島の牢人と称するよりは、尼子の落人と称したほうがイメージはましかもしれないが、今さらどうでもよいことかもしれない。

それでもご先祖さまは尼子の一族という言い伝えが残っていたことは事実だとご隠居は言い張るが、近ごろのモーロクぶりをみると、その事実でさえもあやしくなってくる。


返信:【Re_尼子氏か毛利氏】

中世の山陰地方で生き残ることは、それは、それは、大変なことだったと思う。山名氏と京極氏の争いから、大内氏と尼子氏の争いとなり、その後台頭してきた、毛利氏と尼子氏が覇権争いをして、勝利したのが毛利氏だということになるね。

毛利氏は、その後、徳川氏に敗北するも、明治維新で天下をとることに成功するわけだから、そのDNAはものすごい。しかし、毛利氏の本領、広島に原爆を落とされるというのも、ちゃんと歴史があり、因果がある。それも、全部ふくめて、吹き飛ばされてしまった。

一方、我々は、「尼子の落人」という家訓を残し、現代に至る。称する氏も変わっているのに、そこまで言い伝えが残るその理由は何なのだろう。ご先祖さまを敬う心か、それとも、毛利氏に対する恨みなのか。はたまた、天下に貢献した佐々木一族のお家再興の願いだろうか。

しかし、いまとなっては、何百年も守ってきた土地を捨て、栖を変え、一生懸命ごく普通を装い、心豊かにくらすことを望んでいる。

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし』ということだろうね。


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