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【184日目】米原氏高瀬移住の可能性

ご隠居からのメール:【米原氏高瀬移住の可能性】

>>もし、長谷部氏と松田氏が300年前の1720年頃に高瀬の地へ移住してき
>>たと仮定すると、初代の人物が「尼子の落人」という説は、計算上成立
>>しなくなる。戦国期を生きた人々の生涯は、せいぜい1640年くらいで終
>>焉を迎えているだろう。

ーーそうだね。墓の数からいって、やはり長谷部氏は戦国期に高瀬へ住みついたのだと思う。松田氏については、墓の数を確認してから、仮説の結論を出すことにしよう。

>>なかさん、もしくは、伊曽さんが酒代と引き換えに売り飛ばしたという
>>「家系図」が西谷家にまわったという説は成立しなくなってしまった。

ーーそれは、なかさんや伊曽さんにとっては無実の罪が晴れて、よかった。

日野郡段塚氏は当時の有力な鉄山師で、山田方谷とも交流があった。たしか段塚氏の娘が養女かお手伝い女かで山田家で暮らしたこともあるはずだ。西谷氏も養子や養女が多いようで、ますますDNA解析の必要が求められる。


>>なにが言いたいかというと、「尼子の落人」は、輿左衛門さんの十代前
>>くらいでないと話が成立しないということだ。

ーーその通りだが、松田氏が江戸中期にやってきたとすると、それまで誰が隣家に住んでいたかだ。重久ではないだろう。単なる憶測だが、もしかすると、宍道湖畔高瀬城主の米原氏ではないかという気がしてきた。

その後、村内の松田氏が一致結束して米原氏を追い出し、長谷部氏はそれを黙認したのかもしれないーーまあ、そこまで憶測をたくましくすると、原稿に書くわけにはいかないが。


>>イシさんの話は長谷部家当主、菊二さんと、日野の秋葉氏の娘「ゆみこ
>>が長谷部家にとって大切だ」という意味を考えると、輿一さんは、長谷
>>部の伝統を破り、日野から嫁を娶らず、京都の岡村家と結婚した。そう
>>いう意味だと捉えている。

ーー結婚してはいけない相手と結婚してしまった。「ぼくたちの結婚は、根本から間違っていた」という発言の重い意味がそこにある。そうなると、オレたちは人間失格で、ウマレテスミマセン、だ。ーーしかし、あまり考えすぎると、生きていけない。

結局、高瀬長谷部家の長男は大陸雄飛の夢破れ、次男はフィリピンで戦死、第二次世界大戦が尼子の落人一族を再度滅亡させた。おれはそう思いながらも、適当にながしつつ、82年の長い年月を生きてきたよ。


返信:【Re_米原氏高瀬移住の可能性】

日野段塚氏は、有名な鉄山師なんだね、段塚氏は山田方谷の祖父一族にあたるから、段塚氏の娘が山田氏の養女やお手伝いになってもおかしくないね。こうみると、まともに長谷部信連の血を引いている人はいないのではないかと思ってしまうほどだが、長谷部の姓だけは現代にも生き残っているのだな。

高瀬大原の地はやはり1560年頃に長谷部元信が秋末氏、重久氏を追い出してから今日まで長谷部氏の土地として存在していた。そう考えると1566年(永禄九年)、ゆずりは城に三村氏(毛利方)が侵攻した際に便乗して、あの土地を得たというのがタイミング的には合致する。

その場合、高瀬大原の地に誰かが居座る必要があるのだが、それが、長谷部一族というのは、考えにくい。なぜなら、備後上下に領地があるからだ。

いや、もしかしたら、「厳島の戦」や「出雲尼子攻めの功績」で毛利氏から納得できるほどの恩賞をもらえず、一族のなかで不満を抱える者が出てきて領地を与えたというのは考えられないだろうか。

もしくは、尼子(新見氏)に仕えていた長谷部氏、例えば元信の弟、が存在していて、杠城を攻め落とした時に、元信が親族(弟)を生かすために高瀬の地を奪った。というストーリーなら納得がいくかな。

そうなると、200年後の江戸中期に長谷部氏が松田氏に土地を譲ったということになるが、それはそれで、ちょっと話に無理があるような気もする。


「尼子の落人」は家訓ではないが、家訓のようなものだと受けとめているよ。ついでにいうと、家宝も残っていない。残っているのは「尼子の落人」の言い伝えのみ。

お祖父ちゃんの輿一さんと、お祖母ちゃんの貴美子さんが結婚したのも、戦時中を背景に長谷部氏の家訓、伝統が崩れ去る運命だった。

長谷部氏のご先祖様たちはその運命さえもコントロールをしていたということになる。

昨晩、自衛隊の番組をみながら、むかし自衛隊の試験を受けて落ちた話を息子にしたのだが、あのとき、もし合格していたら、今の家族は存在しない。

自分でいうのもなんだが、試験中に眠らずに合格していたら、仕事はまじめにやると思うので、いま頃別の家族が存在していたかもしれない。息子や娘が生まれて、今の家族があるのは、それこそ運命と表現して良いと思う。

秋篠宮家の眞子さまと小室圭さんの結婚も運命だ。人と人との出会いは運命だ。その積み重ねによって世の中はつくられている。


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