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【61日目】ネバーエンディングストーリー

ご隠居からのメール:【ネバーエンディングストーリー】 

「息子へ紡ぐ物語り」ーーいいね。ひ孫が貴美子おばあさんの手紙を読んでどう思うだろう。もっとも、若くして死んだから、おばあさんというイメージはない。28歳で死んだほうが、百二歳で死ぬよりもイメージ的にはトクかな。

ネバーエンディングストーリーを楽しみながら紡ぐことのできる人間は幸せだと思う。この世の中、カネがないと不自由するが、生きる糧はカネだけではないよ。


返信:【Re_ネバーエンディングストーリー

貴美子さんの手紙がこうして残っているのは本当にスゴイことだね。大連、張家口、北京に4泊もしてようやく大同の地に到着している。当時の様子もわかるし、お父さんが幼い頃に愛されていた様子もわかってわが家にとってはとても重要な手紙だ。

あと、戸籍を整理していてわかったことがある。衝撃的な事実として津弥さんは、3歳のときに伝蔵さんと入籍したことになっている。そして、貴美子さんが亡くなったのは、28歳ではなく、正しくは26歳のようだ。お父さんは、1歳。

貴美子さんの本名は、喜美さんなんだろう。自分で貴美子と名乗っていたのではないかね。


【ファミリーヒストリー年表】
・(昭和12年)1937年10月:輿一さん・貴美子さん結婚
・(昭和14年)1939年3月:文孝さん誕生
・(昭和15年)1940年10月:早苗さん死亡
・(昭和15年)1940年11月:貴美子さん死亡
・(昭和16年)1941年12月:太平洋戦争開戦
・(昭和17年)1942年8月:見田守登さんニューギニアにて戦死
・(昭和18年)1943年4月:菊二さん・菫子さん結婚
・(昭和18年)1943年5月:輿一さん・文子さん結婚
・(昭和18年)1943年12月:ゆみ子さん誕生
・(昭和19年)1944年6月:勝治郎さん死亡・輿一さん家督相続
・(昭和20年)1945年2月:菊二さんルソン島にて戦死
・(昭和20年)1945年9月:太平洋戦争終戦
・(昭和23年)1948年6月:亀三さん・菫子さん結婚
・(昭和27年)1952年7月:いしさん死亡

戸籍①

戸籍②


本投稿には、昭和十四年〜十五年にご隠居さまの母であり、自分の祖母である長谷部貴美子さんが、満州国哈爾濱、中国大同及び張家口から京都在住の母との手紙のやり取りを現代語に訳した内容を掲載しておりますが、この「note」掲載の本来の目的は、あくまで、子孫たちへファミリーヒストリーを伝えるための記録として利用させていただいております。手紙の内容は、ご本人のプライバシーを考慮して閲覧制限させていただきますことをご了承いただけますと幸いです。
書簡集(※題名は筆者が命名)

● 書簡001_令和三年(2021年)二月:喜久子(享年102歳)永眠の知らせ
⇒塩田雅子(喜久子:娘)からご隠居(貴美子:息子)への手紙
● 書簡002_令和三年(2021年)二月:叔母様(貴美子)の手紙を送ります
⇒塩田雅子からご隠居への手紙
● 書簡003_昭和十四年(1939年)十一月十六日:新天地到着のご報告
⇒長谷部貴美子(ご隠居:母)から岡村はる(ご隠居:祖母)への手紙
● 書簡004_昭和十四年(1939年)十一月二十日:大同での新生活
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙

● 書簡005_昭和十四年(1939年)十一月二十日:大豆の研究について
⇒長谷部輿一(ご隠居:父)から岡村素(ご隠居:祖父)への手紙
● 書簡006_昭和十五年(1940年)一月六日:新年のごあいさつ
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡007_昭和十五年(1940年)二月一日:幸せな新婚生活
⇒長谷部貴美子から伊丹喜久子(貴美子:妹)への手紙
● 書簡008_昭和十五年(1940年)五月二十七日:悲しみの訃報
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡009_昭和十五年(1940年)六月二十日:日本に帰りたい
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡010_昭和十五年(1940年)六月:里帰り出産
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡011_昭和十五年(1940年)七月:もうすぐ帰ります
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡012_昭和十五年(1940年)八月九日:帰郷中止のお知らせ
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡013_昭和十五年(1940年)九月一日:張家口での新生活
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡014_昭和十四年(1940年)十二月:結婚のお祝い
⇒長谷部貴美子から伊丹喜久子への手紙


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876字

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