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【235日目】人類はみな兄弟、だが平等ではない

ご隠居からのメール:【人類はみな兄弟、だが平等ではない】

>>現代の2021(年)から500(年)を引くと1521(年)平均25歳で子ども
>>を産んだと仮定すると1521÷25で約61代前が雄略天皇。夫婦2人の61乗
>>は、もうわけがわからない。兆を超える。近親婚も含めて、この計算方
>>法があってるかもわからないが、人類みな兄弟ということでいいんじゃ
>>ないかね。

ーーなるほど、そういう計算だと、雄略天皇にまでさかのぼるご先祖様の総数は兆を超え、人類みな兄弟になるね。同じような考え方をすれば、もの言わぬ民同士で表面的妥協はできそうだが、親子兄弟は他人のはじまりともいうから、妥協の難しい局面もある。

理想をいえば、兄弟姉妹のそれぞれの生活レベルが平等であることがのぞましいが、いつのまにか格差が生じるのが現実だ。


>>ブログの文章や「note」のいいところは、何度でも修正できるところだ。

ーーブログの文章や「note」とちがって、人生は実行してしまえば、とりかしがつかないことがある。やってしまう前に修正可能かどうか考えたほうがよい。


ノモンハンは36日目にもとりあげられているタイトルだ。「より道」でもとりあげるならタイトルは「ノモンハン戦争」あるいは「ノモンハン事件」あるいは「ノモンハンの夏」のように差別化したほうがよいと思う。戦争を経験したことのない人間が、戦争のことを書くのは、けっしておそれ多いことではない。何事も挑戦であり、修行でもある。


先日話題になった、横溝正史『八つ墓村』を読み直してみた。多治見要蔵は小説では田治見要蔵となっている。八つ墓村の生業なりわいは主として炭焼きと牛で、水田耕作には依存していない。面白いのはご先祖の尼子の落人までが炭焼きをしていたことだ。立木の利用権があったということになる。

昭和二十年頃の八つ墓村には医者が二人もいて、そのうちの一人は殺されてしまった。現代の限界集落には医者はいない。田治見家では220頭もの牛を飼っていたという。実際に飼っているのは小作人か奉公人ということだが、今は小作人も奉公人もいない。


返信:【Re_人類はみな兄弟、だが平等ではない】

「八つ墓村」で尼子の落人が炭焼をしているというのは、面白いシーンだね。最初は村人と仲良く暮らしていたのに、命より金の方が価値があるというのも人間の悲しい性だよ。

人生でとり返しのつかないこととは、懺悔や後悔だね。いままで生きてきたなかで多くの懺悔と後悔があるが、悪運が強いのか、なんだかんだでなんとかなってきた。それでも、申し訳ないなと思うのは、人の心を傷つけてしまったときのことだ。

人の心は見えないから、目に見えるものよりも大切にしなければいけない。本人でさえも自分の心や考えがわからなくなるのだから、相手の異変を感じとれるよう意識する必要がある。むかし勤務先では「心のヒダ」と表現していた。


「ノモンハン戦争」については、2000文字程度でまとめてみるよ。本当は、「国民の暮らし(朝鮮)」「国民の暮らし(満州)」「国民の暮らし(蒙古)」についても書きたいが次の機会にする。

とくに「国民の暮らし(朝鮮)」については、今までほとんど学んでいない。満州は、映画「人間と戦争」で少し学べたが、朝鮮については、日清戦争前から朝鮮戦争まで学ぶ必要があるかな。

韓国人に反日感情があるのは、現代のじぶんたちが、当時の状況をしらないからだ。少なくとも、母方の難波のお祖父ちゃんは朝鮮で警察をしていたワケだから、ファミリーヒストリーを紡ぐには、必要な情報だと思っている。


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