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【36日目】ノモンハン

ご隠居からのメール:【ノモハン】

我々のDNAには桓武平氏と清和源氏の血が混じり合っているという気はしていたが、尼子経久や毛利元就の血も入っていたとは気がつかなかった。その上、井上元光までさかのぼれば、井上馨のDNAともつながっているかもしれない。いずれにせよ、26万系統だ、変異に次ぐ変異の経路はとても追いきれない。

 ノモンハンでは長谷部理叡大佐は戦ったが、長谷部与一はその時点では戦闘にはまだ参加していない。昭和十四年には哈爾濱(ハルピン)にいて、それから大同に移り、さらにモンゴルの張河口に移っている。関東軍に応召したのは昭和十九年か二十年だろう。関東軍のどの部隊に属していたかはわからない。

昭和十九年には二女礼子が神戸で生まれている。その時、長男も日本へ帰国させ、神戸から高瀬に移った。実は二度目の帰国だ。先妻が亡くなった後もしばらく高瀬に引き取られ、曾祖母いし(見田家から曾祖父友次郎に嫁いだ)に育てられた。「おまえはひいばあさんが甘やかしすぎて、ダメになった」と長男は父に言われたことを記憶している。

返信:【Re_ノモハン】

安芸井上氏は、もともと毛利家の家臣ではなかったようだね。元就の異母妹が井上氏に嫁いだり元就の家督を支援するなどしていて、毛利家で勢力のある安芸井上を政治的粛清したそうだね。

財力もあり、石見銀山と吉田の間で通行料をとる権利を持っていたとのこと。出る杭として打たれたんだね。30人以上粛清され、安芸井上氏で生き残ったのは。
・井上就在
 ⇒井上馨の先祖
・井上元光
 ⇒元就の妹婿
・井上光俊
 ⇒元就の命の恩人
・井上就正
 ⇒元就の烏帽子親
・井上就重
 ⇒よくわからん
・井上春忠
 ⇒小早川隆景家臣

上記のどなたかが、ご先祖様だ。26万系統のなかで色んな武士の血がまじりあい争いの当事者たちのDNAを受け継いできて今があるのだろうけど「長谷部」の名を残した意思や意味、想いを感じるよ。「本家」ということも大切なことだったのだと思う。

自分も与一さんに甘やかされて可愛がられたけどね(笑)


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