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【39日目】第一波、第二波、第三波

ご隠居からのメール:【第一波、第二波、第三波】

>やはり、1600年以降に
>松田、井上、長谷部が流れ着いたのだろうね。

証拠がないから想像するしかないが、1600年以前の白鹿城、高瀬城、上月城の戦いの後から、第一波、第二波、第三波と何人かが縁をたどって流れついたのだろうと思う。落人は一人ではない。複数だ。

 八幡城というのははじめて知った。そもそも八幡神社は比較的新しい神社だ。高瀬では氷室神社のほうが歴史が古い。「長谷部信連があちこちに神社をつくったから去る」と大倉山の鬼が言ったという逸話にはそれなりの歴史的背景がある。

 社名の件、今まで何人が結婚式に出席したか知らないが、いちどでも出席したことのある人がスイミングの選手紹介で社名のアナウンスを聞いたら、おっ、あの会社かと思い出すかもしれない。

返信:【Re_第一波、第二波、第三波】

1578年以降に出雲松田氏が高瀬の地に入り、1600年以降に長谷部氏、安芸井上氏が高瀬の地に入る。長谷部氏は、何かの報奨で毛利氏もしくは豊臣氏より36町歩以上の土地を賜る。

なぞ多きご先祖さまたちだけど、鎌倉、室町時代に繁栄し徳川政権の時に身を潜めた。

明治、昭和時代は関東軍の仕事に就きお父さんの時代に東京進出。若かりし頃、アウトロー人生を過ごした息子は、奇跡的なご縁で一部上場企業で働きいまでは、普通の人の生活をしている。

息子は、勉強が好きではないが、まじめに塾へ通い、徐々に成績が伸びてきている。現在、英検4級、漢検6級だが、卒業までに英検、漢検ともに準2級までがんばるそうだ。部活は陸上部に入り、長距離選手になると言ってる。息子が通う中学校は、公立だが強豪校だ。


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