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【328日目】:恢復期の精神

ご隠居からのメール:【恢復期の精神】

若いころ、三木清の『哲学入門』(岩波新書)を読もうとして、中途挫折、落伍した苦い思い出がある。あの頃は、そんな難しそうな本がかなりよく売れていたが、入門書も読破できないようでは、話にならない。

しかし、『哲学入門』に比べると、『人生論ノート』は人生の日常的で身近な諸問題をとりあげて論じているので、少しは理解することができた。なかでも、今も忘れていない言葉にコンヴァレサンス(=convalesance=病気の恢復)がある。

「私はあまり病気をしないのであるが、病床に横になった時には、不思議に心の落着きを覚える」と三木清はいう。

そういわれてみれば、私もコロナ病棟で、「不思議に心の落着きを覚えた」のを思い出す。そして、今は自宅のベッドで、「コンヴァレサンス」とは至福の体験なのだなあ、とつくづく思う。

そもそも、「コンヴァレサンス」を感じとるには、その前提として病気にならなければならない。その病気から恢復する途中の心の落着きが「コンヴァレサンス」だ。恢復しなければ、「コンヴァレサンス」の体験なしで死んでしまう。これが運命の分かれ道だ。

新型コロナウイルスに感染してよかったと、今の私は思うが、それにしても、きわどい綱渡りのような体験だった。

綱渡りは過ぎ去った過去の出来事だけではなく、自宅療養で闘病中の今も続いている。コロナの後遺症やステロイド系の薬の副反応はこれから出てくることを覚悟しなければならない。


返信:【Re_恢復期の精神】

「コンヴァレサンス」とは、これまた、聞き馴染みのない言葉だね。病状が快復するときの心の落ち着きか。生への安心感か。それともデジタル・デトックスか。どちらにしても、心癒される時間があるというのは、現代社会ではとても、重要だね。コロナ入院したからこそ、手にいれたものがあるということか。


中世の武士たちに垣間見得た「ホンネとタテマエ、ミエとスジ」は現代を生きる自分にも重要なポイントだと思う。まず、「ホンネ」はいくつも存在する。

ロシアに侵攻をやめてほしいと思うのも「ホンネ」だし、平和な日常を武力により壊されている民衆の怒りや悲しみに同調しているのも「ホンネ」だ。経済的に苦しくなるのも嫌だなと思うのも「ホンネ」。

でも一番は、日本を戦争に巻き込まないでほしいというのが一番の「ホンネ」だ。もっというと、自分と自分の周りの人を戦争で苦しめないでほしいという、利己的な考えが一番の「ホンネ」となる。

自分のように「自分は何のために生まれてきたのか」という疑問に対して、「未来の子孫に徳を積むため」と答えてしまう人間は、その状況に追い詰められた場合、亀三おじさんのように、特攻への道を選択してしまうのではないかなとも考えてしまう。

「タテマエ」は、「損して得とれ」の精神。「ホンネ」を心にとどめ「タテマエ」で妥協点を提案する。いわば防衛テクニックだ。しかし使いすぎには要注意。相手にうまく利用されることがある。

「ミエ」も大切。人にどう思われたいかということが「ミエ」なわけだから、人に好かれるのも嫌われるのも「ミエ」次第となる。武力抑止力も「ミエ」だね。その人の生き方も「ミエ」に影響するわけだが、匙加減が難しい。「ミエ」など張らず常に自然体でいたいものだけどね。

そして「スジ」。いままで生きてきて人と縁を切るときや苦しみの原因は、この「スジ」かもしれない。我慢ならないことが起きるときは「スジ」を通さない人間と出会った時だ。

そんなときは、距離をとり、怒りを納め、ときの流れに身を任せる。相手に求めることをやめて、心を静め穏やかに過ごすことを心掛ける。

「ホンネとタテマエ、ミエとスジ」

生きるうえで重要なポイントだな。


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