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【79日目】風化

ご隠居からのメール:【風化】

墓石はまだ消滅してはいないが、風化している。記憶も風化するのだろう。それを防ぐために、御先祖様はお盆の墓参りという文化を残したが、住人がいなくなってしまうと、墓参りもしなくなる。体力的にも経済的にもできなくなる。随筆『尼子の落人』ではそのようにはっきりとは書いてはいないが、気持ちは伝えているつもりだ。

信谷治恵さんはおそらく先祖からの暗示を伝えるためにわざわざ電話してくれたのだろう。オレの気持ちはあの随筆である程度はわかってくれると思いたいが、無理かもしれない。あの随筆はあらためて書き直す必要がある。

ファミリーヒストリーを書く場合、誰の視点で書くかによって、内容が変わってくる。結局、他人は誰も満足させることができないかもしれないので、自分の視点で書くしかない。随筆はその視点を見つける孤独なプロセスだと思う。

関さんは、オレと同年輩だが、終戦当時は孤児院で育てられていた。まじめに働いて、結婚し、子供を育て、家も建てた。ある日、ご先祖が新見藩の藩主だということがわかったという。その消息を藤原さんが調べて「備北民報」に発表して話題になり、関さんは新見市の名誉市民に推薦された。


返信:【風化】

「山椒魚の故郷」を読ませてもらったよ。俳句の話は正直わからなかったけど、

 ・山椒魚のはなし
 ・故郷のはなし
 ・俳句のはなし
 ・故人を偲ぶはなし

など、テーマがちゃんとあるからこそ評価されたんだろうね。受け取る側が何を思うか、感じてもらうかは人それぞれだと思うけど。自分も、ちゃんとテーマ(骨子)を考えてその裏にある「伝えたいコト」まで明確に言葉化して書こうと勉強になりました。 

仏壇の上に飾っている写真を覚えているけど、まさか、天皇皇后両陛下の写真が飾ってあったなんて思ってもみなかった。やはり、戦争で負けるまでの日本の各家庭は、先祖やファミリーヒストリーを大切にしていたのだと思う。

長谷部信連が以仁王もちひとおうを守ったように、鎌倉、室町、戦国時代同様、軍人さんは武士として天皇の為に戦った。

靖国神社の英霊掲示板に奥さんへ送る手紙が掲示されていた。手紙の冒頭には「我は、大君の赤子なり。今大君の御為、果つるは男の本懐なり。」と書いてあった。しかも、わざわざ「大君」の文字が上にくるように書き出しの「我は」という文字を下にして、、、

共産党は、「原発反対!天皇反対!」とプラカード持って、デモを繰り出した。そのように説く元締めがいて、描いた人が誰かいるのだろうね。日本の歴史は、天皇が在り、内戦があり、大戦まで発展し、ふたたび平和になってきたのだから、いつまでも日本の象徴として平和の象徴でいてほしい。

それから自分の願望をいうと、できたら長谷部元信、出雲松田氏、安芸井上氏のフィクションの物語を書いてみたい。


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