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【60日目】書簡

ご隠居からのメール:【書簡】

  ノートの書き出しーー誰かの文章に似ていると思った。誰だったかなと記憶をさぐると、フランスの画家ポール・ゴーギャンが1897年から1898年にかけて描いた有名な絵画のタイトル、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(われわれはどこからきたのか われわれはなにものか われわれはどこへいくのか)という言葉が浮かんできた。

そのように考えたのはゴーギャンだけではない。近親の死をきっかけにファミリーヒストリーを調べようとする人の多くは自分の来し方行く方を考え、御先祖のことを調べながらそう思うはずだ。御先祖がどのようにして一生懸命生きてきたのかを知れば、現在の環境で自分がどう生きていけばよいかという問題のヒントが見つかるかも知れない。

ヒストリーはストーリーでもある。佐藤家のストーリーが岡村家のストーリー、そして長谷部家のストーリーにつながる。ご隠居はデータの素材を提供するからヒストリーないしストーリーの構成、展開はJの感覚、発想で発展させてほしい。

貴美子さんの手紙は順次パソコンに転記して送る。八十年も前の昭和十四年から十五年にかけての手紙だ。まさか、あの坊やから7人の孫が生まれるとはサプライズーーこれこそ大いなる宿命だと思う。小さな宿命では今回の手紙で、母親の死によって坊やの音楽教育に支障が出て、カラオケで歌うのもはばかれるほどのオンチになってしまったのはいささか残念だが、平安女学院保育科卒の祖母の血をひく孫娘の一人が幼稚園の保母になったのは良い因縁だと思う。


返信:【Re_書簡】

「息子へ紡ぐ物語り」今回、なぜだか、最初から題名が決まっていた。

この題名にしたのは、ご先祖さまのことを知れば知るほど、自分の息子へこの話を伝えなければいけないと思ったから。自分が生まれてから「点」と「点」で経験したり、聞いてきたことが、ご隠居様からの話しで「点」が「線」になったので言葉に紡いで文章にする。

ご先祖さまからの歴史、流れを「糸」に例え紡いでいこう。という意味だったが、まさか、貴美子さんからお父さんへの「息子へ紡ぐ物語り」になるとは思いもしなかった。


物語は、気が向いたときに少しずつ書き足してるからいつ完成するかわからないけど、意味のある文章になるよう楽しみながら書いていくよ。

塩田雅子さんの手紙や貴美子おばあさんの手紙を読んで貴美子さんの人柄が伝わってきくる。手紙をだした、わずか1年後に亡くなってしまうけど大変な時代だったにも関わらず、長谷部家の幸せな光景も想像できる。家族総出でつくった、あの人形は、やはり、坊やが持っているべきだね。


平安女学院は今も現存していて当時は、セーラー服を着ていたようだ。

※参考資料「平安女学院大学」

あと、輿一さんの「大豆」の論文も興味あるね。他の手紙も訳したら教えてください。


本投稿には、昭和十四年〜十五年にご隠居さまの母であり、自分の祖母である長谷部貴美子さんが、満州国哈爾濱、中国大同及び張家口から京都在住の母との手紙のやり取りを現代語に訳した内容を掲載しておりますが、この「note」掲載の本来の目的は、あくまで、子孫たちへファミリーヒストリーを伝えるための記録として利用させていただいております。手紙の内容は、ご本人のプライバシーを考慮して閲覧制限させていただきますことをご了承いただけますと幸いです。
書簡集(※題名は筆者が命名)

● 書簡001_令和三年(2021年)二月:喜久子(享年102歳)永眠の知らせ
⇒塩田雅子(喜久子:娘)からご隠居(貴美子:息子)への手紙
● 書簡002_令和三年(2021年)二月:叔母様(貴美子)の手紙を送ります
⇒塩田雅子からご隠居への手紙
● 書簡003_昭和十四年(1939年)十一月十六日:新天地到着のご報告
⇒長谷部貴美子(ご隠居:母)から岡村はる(ご隠居:祖母)への手紙

● 書簡004_昭和十四年(1939年)十一月二十日:大同での新生活
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡005_昭和十四年(1939年)十一月二十日:大豆の研究について
⇒長谷部輿一(ご隠居:父)から岡村素(ご隠居:祖父)への手紙
● 書簡006_昭和十五年(1940年)一月六日:新年のごあいさつ
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡007_昭和十五年(1940年)二月一日:幸せな新婚生活
⇒長谷部貴美子から伊丹喜久子(貴美子:妹)への手紙
● 書簡008_昭和十五年(1940年)五月二十七日:悲しみの訃報
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡009_昭和十五年(1940年)六月二十日:日本に帰りたい
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡010_昭和十五年(1940年)六月:里帰り出産
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡011_昭和十五年(1940年)七月:もうすぐ帰ります
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡012_昭和十五年(1940年)八月九日:帰郷中止のお知らせ
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡013_昭和十五年(1940年)九月一日:張家口での新生活
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡014_昭和十四年(1940年)十二月:結婚のお祝い
⇒長谷部貴美子から伊丹喜久子への手紙


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