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【170日目】大原氏と長谷部氏

ご隠居からのメール:【大原氏と長谷部氏】

同年配の千葉真一さんもコロナで死に、知人の誰それからも消息がなくなった。やはり、パンデミック体験記のエンディングはまだパンチが弱いような気がする。

先が見通せない要因の一つは中国の動向だ。コロナをいち早く収束させた勝ち組の印象を与えたが、マスク外交やワクチン外交はあきらかに破綻している。

福井藩士に長谷部甚平じんぺい。津江に長三州ちょうさんしゅうという幕末の英傑がいたことは以前から知っていた。甚平は橋本左内等とともに福井藩の藩政改革に取り組み、三州は奇兵隊や海兵隊に属して、名をあげた。

福井や大分にも長谷部の一族がいるなあとは思っていたが、なるほど「大原安綱」という刀工までさかのぼると、両者の血縁との結びつきが見えてくるね。

ついでにいうと、明治十一年に大久保利通おおくぼとしみちを襲撃して殺した石川県士族の一人にも長氏がいた。この人は、おそらく長谷部信連以来の直系の長氏だろうが、時世に乗り遅れて単なるテロリストで終わった。

日田市には高瀬村が存在し、大原八幡宮も存在するとは知らなかった。日田は長谷部信連の子、長谷部義連よしつらが大友氏の家臣として流れ着いたといわれる土地ということも知らなかった。

見田氏も伯耆の鍛冶職人の刀工というのもはじめて聞いた。高瀬の長谷部氏の山林でたたら製鉄をしたという言い伝えはないが、「尼子の落人」なら当然、刀には強い関心を抱いたことだろう。

柚木脇さんの話によると、「はちまん」松田氏の墓地にも「尼子の一族」といわれる大きな石の墓があり、その上、祠もあるそうだ。長谷部の古墓地には祠はないが、少し離れたところに不動明王の祠があった。

ここまでわかってきたことだけでも、長谷部のつながりの全体像が少しわかってきたが、やはり直系だけのつながりでは限界もある。DNA解析による科学的エビデンスと文学的歴史観によるインスピレーションも必要だ。



返信:【Re_大原氏と長谷部氏】

パンデミックは、まだまだ続きそうだね。現在の希望は「塩野義製薬」の治療薬年内承認。これが、一般の薬屋で購入できるようになり、ワクチンブーストが完了すれば、終息すると思う。

来年2月ごろか。コロナ初期に終息するまで2年かかるといわれていたけど、その通りになりそうだね。ちなみに、「塩野義製薬」の株価は7月22日の治験開始情報から上がり続けている。「ファイザー」よりも一歩進んでいるらしい。

長谷部甚平じんぺいまたの名を長谷部辰連たつつらの父も養子のようだ。どうも、長谷部の流れは、子宝に恵まれない一族のようにもみえる。

松田氏の墓にも「尼子の落人」といわれる丸石の墓があるというのは、非常に興味がある話だ。三室みむろの大原氏でだれかご先祖様について知っている人はいないだろうか。

鳥取県には伯耆町大原という地名もあり、大原神社も存在するそうだ。やはり、松田氏と大原氏(長谷部のDNA)の関係(長谷部:信連、不動明王、善昌寺、家紋、伯耆)×(松田氏、大原氏)の係数が「尼子の落人」のカギになりそうだ。女系の歴史が残されていないことがファミリーヒストリーを難題にしているよ。

ちなみに、全然関係ないが、高瀬の氷室神社は、1600年(慶長五年)に備後国庄屋・伊田助左衛門が油野村三室の氷室神社から勧進したそうだ。備後の庄屋が高瀬に関わっているのも不思議な話だよね。

八幡神社ができたのもこの頃だろうか。しかし、神社をつくるには、それなりに金もかかるだろう。


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