【192日目】ファミリーヒストリー指針案
ご隠居からのメール:【ファミリーヒストリー指針案】
>>そうだ、日野出身以外の嫁さんには佐とさんがいたね。油野出身の福田
>>家の娘さんだから、與左衛門さんに反対されたのかな。前妻のなかさん
>>は日野出身と予測するよ。
ーー弥左衛門さんと佐とさんの結婚に関しては興味津々のドラマが展開されたはずで、想像をふくらませると面白そうだが、ファミリーストーリー『尼子の落人』に書くわけにはいかない。
一応、次の通りファミリーヒストリーの指針案を考えてみた。
「事実」の中には、『新見市史』『神郷町史』『上下町史』『日野郡史』などに記載されている事柄もふくめてよいことにしよう。そうしないと、大倉山の鬼の逸話や長牛之助が秀吉から感状を貰ったことなどが「事実」として書けない。
牛之助の主張そのものは事実ではないかもしれないが、牛之助がそのように主張したことは事実だ。また、元信が大倉山で鬼から声をかけられたのは事実ではないかもしれないが、長谷部絢光が神道の正当性を主張するためにそのような逸話をつくったこと自体は事実だ。
ベンチャー企業への入社は23歳の頃ではないかい? それに比べて末娘の自立が遅れたのは、カネがなかったからだ。飲食業界やアパレル業界で転々と渡り歩いていると、自立に必要なカネがたまらない。やはりIT業界の社員に採用され、実績をつんで、実力を認められるまで待つ必要があった。
しかし、息子にせよ、末娘にせよ、低学歴、低偏差値にもかかわらず、立派に自立を果たしたのは御立派、アッパレ、だと思う。
ディズニーランドが「青春」だったのは、末娘も同じで、センターストリート・コーヒーハウスに相当するのはレインボウ・フォレストやプラネット・ハリウッドだ。
限界集落の高瀬で暮らしていれば、そんな「青春」の選択肢はなさそうだ。
返信:【Re_ファミリーヒストリー指針案】
ベンチャー企業に入社したのは2001年3月だから、20年前の25歳の時だよ。学生の頃はロクに勉強もせずにだらけてばかりだった。中学生の頃から人生の脇道にそれてしまったけど、ディズニーランドで働いたことでなんとか、世の中とつながることができ、ギリギリで人様と似たような青春を経験することができた。
息子は今日から期末テストだ。まだまだ、甘いところはあるが、しっかり対策を練りながら勉学に励んでいる。おとといは夜中の2時30分まで、やっていたよ。そのプロセスを楽しんでいるのだろうけど、既に父親を超え、立派に戦ってくれている。子供達には、若いうちから道にそれず、全うな人生を送ってもらいたいと願っている。
しかし自分は、前半戦の遅れを取り戻すべく、この二十年間、無理をし過ぎた気もする。自分の能力や求められる環境など、頑張りすぎたかな。もともと、自分は、戦うことすらしない尼子の落人に恥ずべき末裔だ。
たまたま入社した会社で可愛がられ、七難八苦を経験することができたけど、もともとは、ディズニーで働くパチプロ。ただのロクデナシだ。
自分も二十五年前は、金がなかったよ。アルバイトで稼いだ金は麻雀やパチスロ、競馬に消えていった。それでも仲間達と一緒に共同生活を送ることができたのは、気の合う仲間との出会いと無鉄砲な勢いがあったからだろう。
会社のレストラン・プロデュースのときも一緒かな。仲間たちに虚勢を張り、なんでもやってのけるという気概と無鉄砲な勢いがあった。
そのおかげもあってか、会社は東証一部上場をはたし、年間六百億円の売上高を計上する大きな会社になった。でも、当時、身体を張って戦った仲間はほとんどいなくなり、なぜだか自分だけがこの会社にしがみついている。
サントリーの社長が45歳定年制度を提言し、世の中がざわついているが、悪い話ではないよ。ひとつの組織内で無用の長物になるよりも、外に出て今まで培ったチカラを、世の為人のために役立てた方が良いだろう。ただ、家庭を守るためには、そんなギャンブルもうかつにはできない。
たしかに、高瀬には若者が集い、少し先の未来のために無鉄砲に勢いを持ってなにかを成す機会は少ないだろう。でも、金持神社には若者が集まっていた。その事実だけは確かだよ。
<<<次回の話【より道‐64】戦乱の世に至るまでの日本史_足利一族の内輪もめ
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