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息子へ紡ぐ物語_【より道‐全集】

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自らのファミリーヒストリーを辿りながら、日本の歴史を記してきた「より道」シリーズ。
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2022年11月の記事一覧

■【より道‐120】「尼子の落人」と家訓が残るほどの物語_尼子氏の滅亡

出雲国の守護代であった、尼子経久は、京極氏の意思を継ぎ、山陰山陽の11ヶ国を制するほどの時…

■【より道‐119】「尼子の落人」と家訓が残るほどの物語_尼子晴久という男

尼子経久は、「応仁の乱」という、足利将軍家の因果応報の時代に生まれました。青年期になると…

■【より道‐118】「尼子の落人」と家訓が残るほどの物語_塩冶興久という男

いつの頃か、尼子経久の活躍は、西の覇者、大内義興を凌駕するほどになったようです。 その背…

■【より道‐117】「尼子の落人」と家訓が残るほどの物語_尼子政久という男

尼子経久が、時代の寵児となっていくのは、三十歳を越えた頃、時代でいうと1486年(文明十八年…

■【より道‐116】「尼子の落人」と家訓が残るほどの物語_尼子経久という男

戦国期の西国覇者は、三本の矢で有名な毛利元就です。毛利元就は小さな小さな領地の国人から下…

■【より道‐115】「尼子の落人」と家訓が残るほどの物語_尼子清定という男

わたしは、小さいころから父に、ご先祖さまは「尼子の落人」だということを言われ続けてきまし…

■【より道‐114】戦乱の世に至るまでの日本史_時代を超えた因果応報「船岡山合戦」

我が家の「家系図」に、長谷部左衛門尉元秀という、ご先祖さまがいるのですが、その横の注記に以下のようなことが書かれています。 また、長谷部氏をWikipediaで調べると、下記のようなことが記されています。 長谷部宗連さんや、種連さんは、我が家の家系図には登場しない人物ですが、この頃は備後、安芸、伯耆、因幡に長谷部(長)一族がいましたので、足利義稙を擁立した大内義興と細川高国軍に属して、長谷部一族は、「船岡山合戦」の恩賞として、備前国の小島庄を所領としたのでしょう。 今回

■【より道-113】随筆_『続パンデミック体験記』(長谷部さかな)

今回の【より道】は、父が2021年10月に書き下ろした、随筆_『パンデミック体験記』の続編を掲…