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ノンバイナリー・双極性障害と就活、労働、生活

始めに――LGBTQIA+はそんなにキラキラしてない

毎日アクティブに何かしら発信したり、行動に移したりできる人々、特に性的マイノリティの人たちをうらやましく思いつつも、そんなにみんなキラキラ過ごしてないっていうのを伝えたい。「1日中布団の中にうずくまって何もできない」、それに後悔しつつも何もする気が起こらない、そんな日の連続を繰り返してる性的マイノリティだっている(少なくとも私はそう)。


私を苦しめる「就活」「労働」「生活」

(GID以前に)精神疾患を診断されて、数年前は「完治したら自分も同級生たちみたいに就職して普通の生活を送るんだ」なんて考えていた。私は学部と修士で2回いわゆる新卒採用の就職活動を経験している。学部では進学に向けて途中で離脱してしまったのだが、修士では自分的には8割くらい真剣に就活していた。最終面接まで進んだ企業も複数ある。しかし、お祈りメールしか最終的には来なかった。

アルバイト

大学にいると学業よりも「バイト」、「就活」に命を懸けなきゃみたいな気分に陥らされることがある。「労働」しなければその対価である「収入」は得られない。それは私も既知の事実だ。恥ずかしながら、著者は収入のほとんどを未だに両親の仕送りに頼っている。以前は学内バイトで多少の収入はあった。ありがたいことに1年に数回講演やゲストスピーカーとして読んでいただくこともあるが、当然それだけでは生活できない。

では「なぜバイトをしないのか?」と不思議に思う方がほとんどだろう。私もできるのならばしたい。ただ、病気のせいにしたくないが、いわゆる双極性障害にみられる「気分の波」が邪魔をする。多くのバイトはシフト制であろう。私にとってはシフトを組むのも苦痛で、シフト通りに働きに外に出られる気がしないのだ。実際、学内バイトでも何回か休んだ。そもそも言ってしまえば、バイトを探す気力もない。今はただ60近くの両親への罪悪感を抱きながら過ごすしかない。

就活

冒頭でも少し触れたが、私は就活に「失敗」している。つまり、内定が出なかった。自分の中でも、正直朝から夕方まで企業で働いているイメージがどうしてもできなかったので、1つの社会勉強だったと思えばよいのだろうか。

就活は「双極性障害」と共存しているだけでなく、「ノンバイナリーでトランスマスキュリン、ゼノジェンダー」であるも苦しめた。そもそも前提として就活で心を病む人が多いのは把握している。学部の頃に1度は経験していたため、ある程度覚悟のうえでトライしていた。それでも、「就活は私には向いていない…」と2度目の就活を終えて実感した。

まず、最初かつ最後まで苦しめられたのは「履歴書」である。まずは多くのトランスジェンダーが性別欄で苦痛を感じていることは既に影響力のある当事者や当事者団体が発信している。

ESや履歴書を提出する際に、戸籍性を変更していないことなどで、とまどってしまうトランスジェンダー、Xジェンダーの声が多く寄せられています。

JobRainbow
https://jobrainbow.jp/magazine/guide5-6

特に学校指定の履歴書に書かなければならない場合、男/女という選択肢しかなかった。それを何回も何回も見る度に、戸籍上の性別である「女」に〇をしていた際、自分の中での葛藤を無視することができなかった。ESも企業によってまちまちで、男女しかない企業、「その他」が加えてある企業があった。しかし、「その他」というのは「企業が何を想定しているのだろうか」、「その他という表現は少々排外的かつ安直ではないか」と感じ、あまり「その他」を選ぶことはなかった。また、上記のJobRainbowによるガイドはトランス男性/トランス女性を読者の対象としているようにしか見えない。「Xジェンダーの人も同様に備考欄や志望動機、自己PR欄を活用しましょう」のたった一文しかない。ダイバーシティを謳っている割に随分と雑な記事だと感じた。さらに、いくら現代社会が「多様性」をプッシュしているとしても、受ける企業・人事・面接官がどこまで理解しているのか、偏見を持たずに対応するのか、という無駄な心配に時間を取られる。余談ではあるが、Aジェンダーの人たちはさらに大変なのではないだろうか。以下に簡単な定義を引用する。

LGBTQIA+の「A」で表されるものの一つでもあります。また、「ジェンダー・アイデンティティを持たないという在り方」として捉えられる場合もあります。

https://lgbtq.fandom.com/ja

私の場合、学歴も嫌なことの1つだった。中学~大学学部まで女子校だったからだ。つまり、仮に性別欄が無くても、その他を選んでも自動的に「女性」であると認識されると思うと嫌で嫌で仕方がなかった。

そんなわけで、毎回ESや履歴書を書く度に少しずつストレスを感じていた。正直、私はトランス男性ではないし、そこまで「男性的な」外見をしているわけでもなかったので、「トランスジェンダーです」という説明はできなかった。おそらく、世の中には「トランスジェンダー=元の性別とは逆の性別として生きている/生きたい人」と想像している人がほとんどだろう。わざわざ説明するのも面倒だし、面倒くさい人だと思われるのが嫌で自分から何か言うことは特にしなかった。「性別二元論なんてくそくらえ!」こんなことを考えながらの就活であった。

労働と生活

「労働」にあたって、一般企業に勤めることになれば週5でほとんど毎日同じ時間に勤務するのが一般的であろう。私にとっては、これもある種のハードルかもしれない。冒頭でも述べたが、「1日中布団の中にうずくまって何もできない」サイクルが突然始まるのだ。その間は買い物にも行けないので、食べてもせいぜい1日1食だ。こんな生活を送っている者がどうやって生活のために労働できるだろうか。

「フリーランスや在宅ワークがあるじゃないか」という声が聞こえてきそうだ。でも、社会人経験のない何のワークスキルもない私がどうやって収入を得られるのだろうか。「就労支援を受けたらどうか?」これもまた難しい問題だ。どうやら新卒は仕事を見つけるのに通常より時間がかかるらしい。それに、いろいろと手続きをするのが複雑そうで面倒だというのが正直なところだ。

就労支援や障害年金となると、やはり簡単に言ってしまえば「疾患がある(障害がある)」ということを証明していかなければならないわけだ。そこで矛盾しているかもしれないが、自分が「双極性障害」であるということに向き合うということから目を背けたくなるのだ。医者から見て自分が今どの程度の状態なのかよくわからないし、両親からは「頑張れば何とでもなる」と思われているから、自分は本当に精神疾患があるのかどうかわからなくなる。「ただ怠惰に過ごしているに過ぎない」そう捉えられることも可能だからだ。自分でも布団の中で「ただの怠け者だ。人間として終わってる。」と思う。たとえカウンセラーから違うと言われても。

労働しないと生活できないのはわかる。年金で生活できないことはないと思うが、必然的に親元で生活することをほぼ強制されるだろう。それは規範的でないジェンダーを生きる私からすれば拷問に近い。さらに言えば両親は労働しないことを許さないだろう。こういろいろと考えていると、「生きている限り生活しなきゃいけない」という思考に陥る。「普通」の人は毎日をある程度の生活サイクルを構築して生きている。私にとっては、その「生活」こそが苦痛なのだ。


終わりに

非常に暗い話になってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。共感してくださる方もいるかもしれないし、「何を甘いことを言ってるんだ」と思う方もいるかもしれませんが、これが今を生き、生きたくない私の話です。

そして、ただただ、性的マイノリティは、「メディアで描かれるような、SNSで活動しているような、キラキラした人ばかりじゃない」、「皆が皆同じじゃない」、「マイノリティの中にもマイノリティが存在する」ということが伝えられていれば幸いです。私自身も規範の恩恵に授かっているということを自戒しながら。

(チップを投げて頂ければ著者が喜びます。そして生きようと思えます。)



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