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認められること

イライザはヒギンズのもとで、王宮の舞踏会に行けるような貴婦人になったけれど、ヒギンズは自分の手柄だとイライザを労うことをしなかった。
エヴァンは自ら木から落ちて助けを待ってみたけど、誰も来なかった。

時代背景は全く違う作品だけど、「誰かに自分を認めてほしい、見つけてもらいたい」と主人公たちは願っていたのかなと思う。
マズローの承認欲求は社会的欲求よりも高次の欲求で、最低限のラインではないけれど、自分らしく生きていくためには必要不可欠な要素。

仕事でどんなに頑張っても次から次に仕事が降ってくるだけで、労われることも褒められることもないとか、勉強をどんなに頑張っても、周りからは「もっと頑張れ」と言われるとか、作品の中の人物だけじゃなくて、自分たちの身にも十分起こりえること。

「ディア・エヴァン・ハンセン」のアラナは優等生で、たくさんのクラブに入ってみんなを引っ張るリーダーだけど、周りには見せていない部分もあって、劇中歌では自分を「匿名の子」と表現する。自分で自分の居場所を作ることはアラナにとっての安心なんじゃないだろうか。

そばに誰かがいるから孤独じゃないわけじゃない。
笑顔で「大丈夫」を作っている人も、心には不安や満たされない何かを感じていたりする。
みんな、生きていていいと、ここにいても大丈夫だと言ってほしいんじゃないかと思う。自分が安心して存在できることって何よりも大事なのかもしれない。

こんな風に考えなくても、きっと困ることなく生きていける人もいると思う。
でも、きっと悩んでいる人や、悩んでいる人がそばにいる人もいるだろうから。


だから、何も変わらないかもしれないけれど、私は私の大事な人には貴方が大事だと伝えていきたい。私が今ここにいられるのは、友達や、家族や、音楽や、推しのおかげだから。言葉だったり、贈り物だったり、伝え方は様々あると思うけど、それを考える時間自体がそもそも大事なんじゃないかって思う。私は旅先で自分のことを思い出してお土産を買ってくれたり、誕生日が近くなったら思い出してくれる人がいるのが嬉しい。
私が伝えたいことがちゃんと伝わるといいな。

いつもありがとう。
色んなことが出来るから、あなたが好きなんじゃないよ。
あなたが笑顔でいてくれることが嬉しいんだよ。
あなたが持てないぶんの自信は私が持つから、
自分を大切にしてあげてね。

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