慈愛を極める。

素直に求め合うことが無くなった。
セックスは愛し合わないことだと気づいたときには
わたしはただの穴だった。
穴の摩擦。
天井を見上げて一方的な欲情が収まるのをただ待った。

愛を忘れた。
簡単に好きだと言えてしまう。
1人でしていると自分を抱きしめているような
感覚に溺れて悲しくなる。
わたしを愛してくれるのはわたししか居ない。

所詮ただの穴ならばと西成に赴いた。
お金になる。
捌け口にしかならない穴は日に日に腐っていく。
着飾ったわたしの穴は魅力的なのだ。
舐めるように見定められて、選ばれ、穴になる。
手取り6000円のために心を無にする。
これで何が食べれて、光熱費は払えるだろうか。
あの人の時間も愛もこれで買えるだろうか、
更にわたしを着飾って魅力的に見えるために使うべきかと考えながら。

そういえば14歳の、雪が吹雪く日もそうだ。
愛ではなかった。
愛だったかもしれない、でもありえないほど
その人とわたしは年齢も願望もかけ離れていた。

わたしはただ愛され、満たされたかった。
その人はただ、未成年のわたしを試したかった。

全てが相反する。
愛し合うなんて言葉はゴミ同然だ。
抱く、抱かれる、そんな言葉も。

欲情を向けられるのが苦手だと思った。
そのために簡単に吐き出される
可愛い、好き、1番、そんな軽い言葉に反吐が出る。

体を使われるために紅を引く。
煌びやかな下着を纏う。
肌の見えるような服を着る。

Instagramにいる、わたしの友達はそんなことのためにキレイにしているわけない。

現実、見た目や仕草を底上げしたのはこの世界だ。
性を売り、心をすり減らし、摩耗する仕事で、
わたしは女になれた。

わたしの売りは慈愛。
殺して、蓋をして、黒く濁った、受け入れられない悩みを全て受け止める。
これまでの言葉が全て薄っぺらいなら
いっそのことわたしを聖母マリアと呼んでくれ。

「それでいい」
「わたしがいる」

笑顔で全てを両手で受け止めるわたしを殺してやりたい。
わたしが求めたそれは誰が受け止めてくれるの。

体液が付いた左指にはまる安い指輪さえ
ひどく汚れて見える。
金さえ払えば満たせる欲。
わたしはそれを学び、後にそれがわたしを蝕む。

帰りにもらうお金。
おつかれさまと声をかけられ、
「頑張ってるね、今日は忙しかったですね」
疲れ果てたスタッフに労われる瞬間だけ
承認欲求が満たされる。
そうだ、わたしは、求められた。
売り上げになって店が存続する。
家に帰ればお金を貯める箱に汚いお札を放り込む。
疲れ果てたわたしの汚れた手で。

世の中お金というのはその通りだ。
お金があれば自分をきれいにして
自分が商品になる。
対価は万札と壊れていくわたし自身だ。
目に見えない崩壊は止まらない。

お金を稼ぐのは簡単なのだ。
体を売ればいい。
倫理も感情も痛みも捨てればお金は効率よく手に入る。
そして、そのうちどこが痛いのかわからなくなる。

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