女王様の生まれ

あんたは悪魔だと母親に笑いながら言われた。
何のことだか全く理解できず数年経った今、
悪魔のツノは生え揃ってきている。

「SMバーに行きたい」
友達がそう言うから一緒に行ったことがあった。
扉を開けると、そこは妖しい世界だった。
無数の鞭が壁から吊らされ、ボンデージを着た年齢不詳の女性と、若くてニコニコとしている綺麗な女の子がカウンターのなかにいた。

怪しすぎる雰囲気に圧倒されながら震える声でお酒を頼む。
年齢不詳の女性が「これに記入して」と、調書と書かれた顧客名簿と思われるものを差し出した。
好きなプレイに丸をつけ、様々なことを記入していく。
書き終わってから女性に渡すと、静かにそれに目を通す。
ときどき微笑みを浮かべる、その表情のひとつひとつにやたらと緊張した。

「あなたは性格M、性癖もMね」
そう言われる。
女性はバーのママだった。
あとから聞いた話だと、有名な女王様だったとか。

新しいお客さんが来ると、ママは入り口へ一瞥する。
人を見る、と言うと普通のことだけど、ママの場合はちがう。全てを見透かすような目になる。
微笑む、喋る、沈黙する。全ての挙動に敏感に反応して、どれも間違えてはいけないと脳みそがフル回転していくのが分かる。
考えて、喋って、考えて。その繰り返しで少量の酒でもすぐに酔っていた。

ママの目はメデューサのように感じた。
人を石にする、もしくは殺す。
穏やかな海のように静かなのに、浅瀬でも海に足を浸けると海溝のような深さに吸い込まれる。

「あなたはまだ選べる」
そう選択の余地を与えられているにも関わらず、
わたしは自らの意思でその海に身を沈めていく。

そんなことを考えながら
ふと横を見ると新しいお客さんが、犬皿にお酒を注がれ、パンイチで飲んでいた。
わたしたちにとっては衝撃的な様子で固まってしまう。
ママはニヤニヤして、犬皿を飲みやすい位置に動かしてあげていた。

そこから3年。
わたしは、人を殴って、蹴って、キスをしていた。
平気で人の頭を踏み、男性の弱点を容赦なく蹴り上げ、頬が腫れ上がるほど叩いている。
うずくまって痛みに耐えている姿を見下しながら、ママの目を思い出す。
頬を叩きながら、じっと相手の目を見ている時も、頭を水の中に沈めている時も、笑って喋っている時でさえも、
あのママの目を思い出して「きっとママもこうやって見ている」と感じる瞬間がある。

わたしは魅了されてしまっていた。
女王様のママに。

そしてわたしはその線をなぞるように、
興奮しながら快楽と苦悶に満ちた顔を見つめる。
相手のなかにズルズルと入っていく。
わたしの声が相手の頭のなかで反響しているのが
手に取るように分かるようになり、
わたしの目が呪いのように相手を蝕んでいくのが分かるようになった。

お母さんは笑って「あんたは悪魔だ」と言った意味が分かった。
あの頃の同級生の男の子たちは、わたしの言うことを聞いていた。
わたしも、皆も無意識だった。
「こいつを傷つけたらダメなんだ」
思春期の、反抗期真っ盛りの男の子たちが妙にわたしに優しくするのが、お母さんには見えていた。
その時既にわたしには悪魔の片鱗があった。

喋る、微笑む、沈黙する。
わたしのなかの悪魔は生まれ、成長していた。
わたしのひとつひとつに相手の緊張感が伝わってくる。
「こんにちは、今からあなたの体の中に入ります。」
と言わんばかりの挨拶をして。
その目から、耳から、毛穴から。
部屋を暗くして見つめ合うとき、わたしの瞳孔は真っ黒に開いて、両手は相手を捕らえていく。

またねと言う頃にはもう蝕まれている。
わたしのことを忘れられなくなっている。
わたしが女王様のママを忘れられないのと同じように。

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