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キチガイ!って言われた話


こちらあみ子の本と映画を拝見して色々自分の子どもの時の事を思い出して辛い…。

幼稚園の時、私は自分のうんちを最重要視していた。
おお!自分から生み出した神聖なる何かよ!と思っていた。そして、家はバラックのような平屋でぼっとん便所だった。水洗トイレのようにまじまじと自分のうんちを見る機会が少なく、うんちのきちゃなさを少女は理解していなかった。

神聖だと信じて疑わなかったので、丁度良い間口が広い瓶を家中から探してきて、瓶にころころうんちを落として、詰めて親にわからないようにトイレに隠してトイレに入るたびに自分のうんちを眺めていた。
ころころうんちを眺めながら、手が生えてくるかも?もしくは、別の生き物になるかも?と、真剣にわくわく思っていた。

ほどなくお母さんに見つかった。

「この!!キチガイ!!!!!」



人間の顔を今まで長い間生きて色々見てきたけれど、思い出しても、1番鬼のような、また、悲壮感たっぷりの顔で叫ばれた。家中がぶるぶると響き渡る大声だった。

幼稚園児だったから、奇をてらったり、何か面白い人だと思われたくてしたとか、そういう事ではない。とても大真面目だったので心は甚く傷ついた。

実の母親に幼少期でめちゃくちゃに拒否された体験は、多少拗らせた人間になる結果にもなった。(いやいや、絶対お母さんが可哀想なんだけど…)

だんご虫を鼻の上や顔の上に乗せて歩いた。大きな公園の端から端まで変なスキップで回った。無口な弟にずっと、ねえねえって今日の出来事を話し、椅子に座れば逆さまになり、公園の芝生でずっとびょこぴょこ蛙ジャンプしながら空想をしていた。そして、空想の話を延々と台所に立つ母親にして嫌な顔をされたりは日常だった。鼻に砂場の砂を詰めて飛ばして友だちや知らない子どもを笑わせて鼻が爆ぜた話は前に書いたけれども、その時もほとほと怒られた。

私は母親に成長してからもずっと、キチガイ人間として接せられてきたのだけれど、母親が亡くなった後に周りから聞いた話だと、あの子は知らない人とお話が出来てすごい!仕事もちゃんとしている!羨ましい!!と、常々と言っていたらしい。主婦の母親は人見知りで、すぐ人を羨む人であった。

生きてる時に直接言ってくれよーーー!!!
ってとても思った。些細な「褒め」だけど、
30歳前まで、キチガイ人間対応されているとしか、ずーっと思っていなかったし、母親に褒められたり、抱きしめられたりした事は一度もないな??って小学生くらいから思っていたからね。

うんちのせいだけどね!!

あみ子ちゃんもそうだったのではないかなって悲しくなってしまった。
けれど、きっとひとりで小さな楽しみを見つけられる子だと思うし、いつも構ってくれたあの男の子みたいな人も現れるんじゃないかな。
そうだといいなー!って思いながら寝ます。

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