「自分を知る」とは、、、「宇宙を知る」と同じ意味だわ。「壮大な宇宙さんこんにちわ」
実に!
「自分を知って らしくなる」の石碑に「疑問」を持った幼稚園児(4歳)のわたしは55にして「それはとてつもない壮大なことなんだ!」と気づいたお話。
わたしが想像していた「‘自分の範囲」とは、見える範囲だったろうね。
「体」「骨」と意識していくうち、その向こう側を感じ始めたのだろうか、、、。
それはそれは果てしなく広がる「宇宙」のような、そんな簡単に把握で来るようなものではないことに気づいたのだ。
極端な発想よね。
でも、今わたしはこのほぼ宇宙な「体」に住まわせてもらってる「意識体」なんだと腑に落ちたわけよ。
意識と体と脳みそとを分けてそれぞれの個体と考えて三位一体とイメージした時、、、、。
わたしの体は脳みそによって神経伝達し「思い通りに」動いてくれている。
これまでは、ありがたいで止まっていたが、
いや、一体誰が「そうしたい」と思って脳にその指令を出しているのか?
あれ???
意識のわたしだよね?
脳のわたしに「これこれこうしたいからこう動いて」と思いを伝えているのは。
そして、脳のわたしが「体のわたし」に「あれをこうしてこうしたいからこう動きましょう」と神経伝達物質するのよね。。
そして、体のわたしがそれを受け取って「思い通りに」動いてくれるわけさ。
意識というわたしがこの体に入ることによって「生命活動」が行われるのだね。
ででででで、この話はどこへ行くのか🤣
科学的なことや医学的なことは置いといてね。
だってそれらも証明されているとか言うけど、実際にはわからん話でしょ。
「そうだ」とみんなで思い込んでるようなもんですよ。
信じてないとか言う範疇ではなく、誰にもわからんことですよね、わたしはわたしから生まれてくる「これだ」を粛々と信じているのですわ。
だって、この世界は「わたし」しかいないんですもの。
作り上げているのは「わたし自身」。
この理論にのっとれば、化学や医学なんて誰かの利権で造られた「創造物」でございますのよ。ほほほほ。
この時の「意識」がどうしたいか?で動いているのであればだな。
意識を「くっきり」と解像度上げて「意識」すればいいんじゃなーい😎
ってことではないかいな😎
でね、、、。
やっぱり体に意識なんだけどね。
「背部」への意識が大変に薄いことに気づいたわけよ。
見えるものしか見てこなかったのだろうね、
見えない部分なnどうでもいいって思ってきたのだろうね。
見えない部分を見てるほど「ひま」も「余裕」もなく生きてきたのだろうかね😁
と、いうことで。
背中のブヨブヨしてしまっている箇所をよーく観察して、触る触る触る。
背部は大変に触りにくい。
とはいえ、なんとか意識を背部に巡らせる。
そんなこと、つまり誰かから見てよくわからないことをやってる。。。。と!
自分の体がある起点から「後側」にものすごい空間があり
広がっていることに気づいたのだ。
って、感じたのは正直今です😁
書いているうちに捏造してるかも😁
まそんなことどうでも良くてね。
ようは「自分」の範囲は自分が思っている以上に無限なんだと言うことだ。
無限の想像をした時に、わたしの知る表現は「宇宙」としか表現できないから「宇宙」と書いただけで他にあればそれでどうぞ。
「わたしはこうだ」という思いこみなんて「粒」にもならん「塵」にもならくらいに小さなもんなのだよ。
制限を外すと言うことをよく耳にするが、
それも壮大なこと🤣
やろうとすることそのものが馬鹿らしい。
そんなことをするために生まれてきたのか?
執着をさんざんイメージしてそればかりやってると人生詰みよ。
外したり
乗り越えたり
掴もうとすればするほどに
そうでない状況を創る。
もう外れてるし
もう乗り越えてるし
って
修行は終わってるんだぜ!って、にかってしてりゃいいんだわさ🤣
考えて
抗っても
勝てっこないのさ😁
「宇宙」ほどに「壮大な自分」を受け入れるだけさね。
ということで
挨拶は「壮大な〇〇宇宙さん」こんにちわ🌟ですね。
鏡を見ても、誰と会ってもすごい挨拶🤣
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