見出し画像

感情のベッドとは

昨日乳がんステージ4の何度も死にかけては生きている女友達に会いに行ってきた。

素晴らしい行動力。
今生最後のつもりでハグしてきた。

いろんな人を振り回しながら、彼女がたどり着いたことは「こんな体にならないと、旦那に頼ることができなかったのか」だと。

どう転んでも「やっぱりパートナー」だよって、何度も伝えてきたけれどね(笑)
本人がその境地にならないとわからないもんだ。

でも、今伝えられて、お互いが支え合っているのならもしかして本当に奇跡が起こるかもしれないなーってぼんやり思ってしまう。

全身に転移していて、脳幹にまで癌が蔓延っているとのこと。
大逆転を期待せずイメージしてみよう。

どの道、彼女夫婦の運命だから。
わたしは何もできませんよん。

昨日は、わたしの気づきの「気にしない」までしかこの口は話さなかったのだ。
わたしの口は、わたしに任されていて(笑)
「出るに任せて」自動的に喋るようにできているのだ。
なので、タイトルの「感情のベッド」についての話はしなかったのだ。

わたしてきに、一番の気づきで癒しになるはずなのに?
別れて数時間経つ今にしえ不思議だなーと思うわけ。

感情のベッドってね、自分の「ふと思ったこと」を自分の目の前に差し出した両の手にふわっと乗せるように「愛でる」そんな感じ。

あー、そう思ったのね。

ただ、そう感じたことを手をおさらのように、水を汲むように、大切なものを運ぶように、恭しく乗っていただく。。。

言葉にするとしたら「尊重」だね。

神様にお捧げする供物のように
大切に「どうぞ、あなたのお仕事にお使いください」の思いを込めて差し出す「宝物」。

この自分の手がベッド。
誰にも出来ない。
自分にしか出来ない。

これを「使命」と言うのかもしれないね。

わたしにしか出来ないこと。
それはわたしの湧いてくる感情をそれぞれのベッドにそっと置いてあげること。

そうすると何が起こるか?

自分の中の感情たちが、大切にされて「思っていいんだ」になる。
自分の中が、満たされて「行き場のない感情」がなくなる、みんなちゃんとそれぞれにベッドがあって埋めないといけないものがなくなる。

空のベッドがなくなるから、よそから奪わなくて良くなるのだ。

なんと平和。

まだ、うまく言葉に出来ないけど。
わかる人にはわかるよね(笑)

わたしの中の感情たちは安心してわたしんお腹に存在している。
だから、なんにも求めないでいられる。
おかげさまで、焦らなくなったし、誰かかどうでも真実「あーそー」でいられる(笑)。

刺激を求めるのがにんげんだから、もうもしかしたら死んでるのかもしれないけれど。

わたしはとても「満ちている」のだ。


ふふ
素敵な週末を!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?