#自分と向き合うシリーズ「目的・目標・すり替わり」
「その目的は?」と順に追って行くと出て来る「すり替わり」。
そもそもの目的を忘れてしまう!!
なんと人間とは面白いものか。
例えば、
何かを達成する。
これは自身の喜びです。
が、誰かが「すごいね」と褒めたとする。
するとどこかで「褒められる」ことが目的にすり替わってしまう。
なんだろーねーこのシステム🙄
そもそも、やりたくて、やり切りたくて、やれる自分を想像して、その向こう側が見たくてやってたはず。
なのに、褒めて貰ったときの「高揚感」にみんな持ってかれぽ(笑)
なんでここで「ぽ」変換よ😆🤣
すると、褒めて欲しくて頑張っちゃうのね。
段々、足りない自分を構築する、そのスタートのスイッチかも知れんな。
褒められよーが
けなされよーが
敬遠されよーが
放置されよーが
やりたけりゃやればいい。
相手の反応で「やる・やらない」を決めるのはすでに軸のブレ。
どーあっても
やり続ければいい。
どんな答えも自分にしか訪れないしね。
結果、何かになるかも知れない。
でも、そんな未来がワカル訳はないし、狙ってやってると、その時点で「目的」がズレるので、やっぱり疲弊する。
子育てで当てはめると、ピンと来る人もいるだろうか。
こどもほどわかりやすいものはない。
このカラクリシステムでいいように親はこどもをコントロールしてしまう。
うまくいく場合もあるだろ。
駄菓子菓子、大概その奥底の「コントロールしたい欲」を見つけられて反発を喰らうもんだ笑
いま、整骨院に通っているが、体操を指導されるじゃない?
なにやら、宿題と化して人は「言われたから」と頑張る。
それは「先生にちゃんと宿題やったんだね♡」と褒めて貰いたいという感情に変化し、そもそも自分の体を緩める目的からズレるのだ。
いゃ、その目的すらズレてるんだけども😆
と、自分と向き合うシリーズのおかげでのんびりと「ある」ことを見つめながら「根底にあるもの」に辿りつこうとしているのだ。
遠回りのよーで、実は近道なり。
逃げると追いかけられる。
追いかけると逃げられる。
ニュートラルに対峙するのが素晴らしい👍
ほにょ(笑)