空の機構
1
数刻前、彼女はいくつもの水星(ここでは第一惑星という意味ではない)が行く手を阻みましたが、突入突破を幾何も繰り返しました。現在、「ああ!ようやく終わった!」と思いちらと後ろを振り返ると巨大だが質量はかなり小さいある種の壁が佇んでいました。
彼女は「私には過ぎた話ね」と呟き、旅路を急ぎました。
それを聞き取ったのか、通信機越しのオペレーター……とは名ばかりの話し相手との話が始まります。
「お嬢、精神に悪いですよ、あまりやらないほうがよろしいと思いますが……」
「そんなことくらい分かってるわよ、でもやらなきゃいけないの」
「何のためにでしょうか?そもそも計画には突入する必要がないと……」
「何のため……ヒミツよ」
「ふむ、それは悠久ということですかな?」
「泡沫よ」
次第に口数は減り、びゅうという風切り音だけが私の体をすり抜けてゆく。
なんて気持ちのいい風だろう!彼女はこの晴れを独り占めしたいという気持ちで胸が満たされていたので、笑い声をオペレーターに聞かれないようにしました。
「……ッ」
しかし、微かに漏れ出た声は、オペレーターに聞かれていました。彼はその声を不思議に思いました。フラッシュバックにでも襲われたかと、一抹の不安がよぎりましたが、少なくとも息が荒くなったりパニック状態の兆候が見られなかったりするなど、「雲の症状」が出ていないようなので、そっとしておくことにしました。
2
また数刻が過ぎ、少女は思索を巡らせます。
「……空の機構」
「おや、何か言いましたかな?」
「気にしないで、独り言だから」
「そうでしたか」
また、風切り音だけがそこにあるようになりました。
……私が覚えている最古の歴史といえば、それはあの時代のことだ。
「あの時代」それは、忌まわしいものでした。
太古の昔、世界がそこにあった日、それは、今では「暗黒時代」と呼ばれています。そこにはただ憎しみと凍てつく雪だけがありました。空には厚い雲が覆い、血が流れていました。
狂騒、嗚咽、匂い、閃光。
か弱い少女は呟きます。
「はじめたのはだれ?」
……この戦争が始まって何年、何世紀たったろう。
人々は死ぬことも許されず、笑うことの出来る人間はただ、恐怖と憎悪と痛みに耐えかねておかしくなってしまった人だけです。彼らの世界では「崩壊者」と呼ばれていました。
神々のため?人々のため?
既にその始まりを知る人も、戦う理由を持つ人もいません。すべてが忘却の彼方へと行ってしまったのです。「世界よ早く終わってくれ」と願う人々もいました。
今日もどこかの街が爆轟に包まれています。
あるシャーマンの手記より引用
「ああ、笑いが止まらない。どうやらこれまでのようだ。
神々よ、
な ぜ 我 々 を 見 捨 て た ?
なぜ だ
いや違 う、思 い 出せ、おも い だせ、想 い出せ。
誰がこの戦 争を 引 き起こ した?
始 まりは、一筋の閃光 だ。
…すべては」
手記はここで途切れています。ほどなくしてシャーマンと呼ばれた彼は「崩壊者」として、精神病棟(便宜上こう書いておく)に収容されることとなりました。
すべてを始めたのは、神々でした。彼らは彼ら自身の享楽のために彼ら人間を作り上げたのです。
崩壊者達は決しておかしくなったわけではないのです。自身が神々の玩具でしかなかったことを知ってしまったから彼らは笑うのです。いえ、笑うしかないのです。
精神病棟では、かつては稀代のシャーマンとさえ言われた、今では名前すら消え去った男は今日も笑います。
「あはは、ぼくたちはおもちゃ、あは、あはは、は」
ひとしきり笑ったあと、急に泣きじゃくり、こう言います。
「我々には、自由意思も、心も、何も、なかったのだ」
ある日、「研究員」と名乗る変人がやってきました。
「やあ、稀代のシャーマンよ」
「あなたは、だれですか?」
「私は研究者、精神の探求に訪れた。誰も彼もが君のような崩壊者に興味がないらしい。不思議なことだ。これはワタシの持論だがな、君たちは決して気が違っているわけではないと思っているのだ」
「??? せいしんの……?」
「ああ、詳しいことはいい、君とお話しがしたいだけだ。君はこの世界をどう見る?」
シャーマンはしめた、と思いました。初めて見た希望です。彼に真実を伝えなければと思いました。
「神々」は人間の貪欲さ、強欲さを見誤りました。まさか、崩壊者のことを知ろうとする人がいるなんてと驚いたことでしょう。
それから数か月がたち、一つの詩が歌われました。
神々は悪魔、このしらべに乗せる
神々は悪魔、われわれを弄ぶ悪魔
聞いているか神々よわれわれは
あなた達を許さない。
それはある種の呪詛でした。
ですが、人の心を動かすには十分でした。
戦争が始まってから400万年と幾年たったある日、ついに人々は、かつて神々と呼ばれた悪魔を倒しました。
それから、神々の叡智は人々にもたらされ、悪しきものが神々の玉座を奪わないようにとそれぞれの国から一人ずつ賢者がその玉座に腰を掛けました。今では「神々」というとこの賢者達を指します。
叡智を手にした人々は、世界に四季をもたらし、戦争の惨禍を忘れないために雨と雪をたびたび降らせることにしました。
そして、厚い雲が晴れた時、人々は広い世界を、水平線を見ました。
それは「空の機構計画」の始まりでもありました。
神々は悪魔、このしらべに…
「懐かしい歌ね」
3
どこまでも続く大海原を見た人々は言いました。
「この先には何がある」
「空の機構計画」の始まりでした。計画は「世界の果て」を見つけること、「大地を見つける」ことです。
彼ら人類が生きている土地は、カルデラの地形(闘技場というべきか)をした島です。賢者達はこのような島がまだ世界にいくつもあり、悪魔達が滅ぼされた今でも戦争を続けているのではないかと考えたのです。
シャーマンは誰が大海原を飛ぶのにふさわしいかを占いました。すると、ある少女がふさわしいという結果を得ました。その少女は、ワンピースがよく似合う青い髪をした子でした。シャーマンと研究チームはすぐに彼女に連絡を取りに行きました。少女は二つ返事だったと聞きます。
賢者達は彼女に「空の翼人」という称号を冠しました。そして「また会おう」と約束をし、彼女は飛翔を始めました。
彼女の装備は2つです。それは空の機構と通信帽子です。空の機構は、風を操り、魔力磁場(我々の世界でいう地磁気)で動力を確保するという機構です。また、通信帽子「O-T4m AN」は、星の翼人と本土をつなぐ魔力磁場経由の通信が行われる装置です。ついでに通信士兼話し相手が付いてきます。
現在、少女は本土から数億程離れた地域を飛行しています。
「飛行開始から今日で2000年が経ちますよ、お嬢」
「あらそう、早いわね。ところでオペレーター、聞きたいことがあるのだけれど」
「…く……えな…う…」
突如、通信状況が悪化しました。
「こういう時は大抵…」
たった数十秒でした。みるみるうちに周囲は多くの水星と暗雲、焦げたような匂いが立ち込めました。暗黒時代を彷彿とさせます。少女はフラッシュバックをかき消すように小さく舌打ちをしました。出来る限り呼吸を浅くし、速力を上げました。
「瘴気雲」や「残滓」と呼ばれているこの空間は、悪魔たちが作り上げた厚い雲です。もし吸い込めば、人々に猜疑心を植え付け闘争と憎悪を増幅させ、ある種のパニック障害のようなものを引き起こします。通常、火口からマグマと一緒に噴出します。
悪魔たちが討伐されたあと、人類は島内部と周辺の瘴気雲が出てくる火口を塞ぎましたが、それはあくまでも島周辺の話であり、このように島から遠い場所にはいまだに残っている地域があるのです。
少女は目と耳を塞ぎ、航路は機構に任せました。不意に、通信帽越しに通信士の声が聞こえます。
「馬鹿だなあ、自分から残滓に飛び込むなんて」
これは瘴気雲が引き起こす幻聴です。戦後、晴れた雲の正体に関する研究で明らかになりました。
「これは虚構だ、騙されるな」
そう言い聞かせました。
「騙されるな、騙されるな、騙されるな」
そう言い聞かせ続けて3時間ほど経ったでしょうか、突然視界が開けました。それは壁の突破を意味していました。ふうとため息をついて、騙されなかったことに感謝しつつ、通信機を手に取りました。
「神殿へ、こちら翼人、応答願う」
「無事か!こちら神殿だ。よく聞こえていますよ」
「ああ、よかった!繋がらないかと思ったわよ!」
そして少女はまた美しい青空に飛びます。
「さっきの瘴気雲はとっても厚かったわね」
「それも他に例を見ないほど」
「ええ、まるで陸地にあるかのよ…う……」
「どうしました?」
「こちら翼人から神殿へ…」
海底火山から噴出するような瘴気雲は非常に小規模であり、あまり気に留めるものではありませんが、陸地やとても浅い海底から噴出するものは非常に大規模なものになります。
つまりそこには、
「こちら翼人から神殿へ、大地を見つけた。繰り返す。大地を見つけた」
大地がありました。それは2000年ぶりに見た陸地でした。
おしまい。
エンディング曲「梅雨明け飛行機」
あとがき
このストーリーをもとに曲、劇中歌??が増えていく予定です。一曲目はエンディング曲の梅雨明け飛行機です。どうぞよしなに。さようなら。
2021-10-15追記)暗黒時代をモチーフにした「信仰戦争」を追加しました。
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