LSE/ロンドン留学記 (LT Week 5)

今学期前半最後の1週間。
イギリスで過ごしたMTの前半と比べると、精神的にも肉体的にも安定して過ごせた。
MTは慣れない環境で、1人で、COVID-19の状況下で、天気も曇りがちな中で、いろんな要因で結構ストレスが溜まっていたのだろう。
日本で過ごしたこの半学期は勉強にすごく集中できたかと言われると自信は無いけど、でも穏やかには過ごせた。

前半を振り返って、East Asiaの授業は、Shin先生がsupportiveで授業内容がわかりやすいからか、MTで学んだ理論や基礎知識が東アジアという身近な場所に落とし込まれているから、非常に有意義だ。
一方で2学期通して行われているResearch Studioの方は、オンライン中心になったせいでグループワークのメリットが生かされていない。
今学期のテーマは、infrastructure of careという内容で、自分のバックグラウンドには非常に合致するものだが、あまりその強みを活かせなかったなぁと思う。

<Cities and Social Change in East Asia>The Politics of Displacement
巨大都市が形成される過程では必ずdisplacementが行われる。ただ、displacementというのは中国語・韓国語・日本語いずれにもそれに当てはまる単語が存在していない。

displacementの研究というのは非常に難しい。難しさゆえに議論も十分されていない。displacementというテーマ自体がdisplacementされているという意見もある。

まず、どういう人を調べる対象とするか、という問題。中国には住民として登録されていない国内移民が多数いる。そういう人たちは、実際には立ち退きをさせられていても、住民票が無いから把握ができていない。displacementされた人は、どこか別の場所に移動していってしまうので、その集団を追いかけるのが難しい、という点もある。

様々なタイプのdisplacementがある、という事も認識していないといけない。
多くの研究は、最終的にdisplacementの対象になった人たちのみをカウントしており、これはlast-resident displacementと呼ばれる。しかし、displacementは何年もかけて行われるものであり、最終決定するまでの間に人々は自主的に出入りしており、誰が本当に最後に残った人なのか、誰が途中の過程で出ていったのかを把握する事は難しい。
また、displacementの対象となっていない周辺部に住んでいる人々も、十分な生活インフラが無くなる事や価格上昇により排斥されたり(chain displacement)、馴染みの店が無くなったり近所の人がみんないなくなったら自主的に出て行かざるを得なくなる(phenomenological/symbolic/un-homing displacement)。
exclusionary displacementは、その地域がdisplacementの対象地域でなくても、displacementによって他の地域から人々が流入してくる事により、地価が上昇し、結果的に人々が出て行かざるを得なくなる現象。

また、時間的スケールも重要である。
というのは、立ち退きというのは、実際に立ち退きが宣言される前から始まっているからである。
再開発が行われる、という事は事前に噂が立つので、その時点から人々はすでに自主的に移動をはじめている。
また、立ち退きによる影響というのは、トラウマと同じで長い時間経過で影響し、世代を超えて影響を及ぼしうる。

displacementに働く力は政府主導(警察力)の事もあれば、マーケット主導(価格上昇)の事もある。

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